ズホラなオットの緻密な旅計画<28>

編集後記
たまたま出発前に「Travel Diary」というものを入手したので、今回はメモをとり、自分の「備忘録」として、いつの日か読み返すことを楽しみに書きました。
90年のイタリア大会ではバグダット空港で乗り継ぎの待ち時間に、急に周囲のアラブ人がアラーの神に祈りを捧げた光景や待合室に飾られた巨大なフセインの写真を見て感じたことやその1ヵ月後にイラクがクェートに侵攻し、日本人レポーターが空港から中継している風景を見て、妙な気持ちになったこと。先輩がジプシーに囲まれて「あっ、やられた!」と言ってよくよくチェックしたら、盗まれないように何回もパスポートの有無を確認しすぎてボディポーチのチャックを開けたままにしていたこと。
94年のアメリカ大会では、チケットもなく手ぶらで渡米したものの、バッジオがPKを外した決勝戦まで観戦できた経緯や自分の誕生日に同行した友人とその友人であるジョン・カビラ氏がロスの中華料理店でお祝いしてくれたこと。
また98年のフランス大会では、20人ぐらいの有志で行くツアーに初めてツマを連れて行き、そんな時でないと絶対行かない地図にも載っていないような南部の海岸沿いの小さな街で美味しいカキを食べたり、列車で試合地に移動中にイラン人のダフ屋からチケットをゲットしたり、それでもチケットが不足したので、最後はホテルの中庭でPK合戦をやって必死な思いでチケット入手したり、そのPK戦で女性の替わりにキックした男性が外してしまい号泣して謝ったり、でも成功した人から譲ってもらって無事観戦できたりしたこと。
2002年の日韓大会では、ロナウジーニョのハーフウェイラインからのフリーキックが直接ゴールインしたのを目の当たりにしたり、決勝戦も横浜で観戦できたりしたこと。
メモをとっておけば本を一冊ぐらい書けるぐらいのエピソードがあったはず。
そんな思いもあって、今回はメモをつけはじめたところ、ツマから「ブログ」として掲載するから”記事”として書いて欲しいと頼まれました。
数年前に大ヒットした「冷静と情熱のあいだ」のパクリではありませんが、今回の旅行に関して、ツマ側からと私側からとそれぞれの視点で記事を書きました。
またいずれ同様の企画が実行できることを願って、今回は終了とさせていただきます。
Ganz Genau !!