ここまですいぶんいろいろなことを書いて来てふときがついたのですが、私はまだノエルの大好きなある人物について1度もお話していませんでした。その人物とは、私と4歳違いの妹です。ノエルにとってはマの妹=叔母さんということになるのでしょうが、本人の希望もあって「お姉ちゃん」あるいは「はるちゃん」として教えています。
父が2度の大手術を受けて生死の境をさまよっていた昨年(1997年)の春から夏にかけて、私とはるちゃんは二人暮しをしていました。それまでは両親と、サリーとベルと同じ家に暮らしていたはるちゃんですが、母が病院に泊り込み、犬たちがいなくなって空っぽの家に毎日帰るのは、あまりにさびしかったのです。
父が足の手術を受けたひの夕方、私たちは母だけを残して病院を出ました。「痛い、痛い」と叫び呻く父の声が耳の奥にこびりついて離れませんでした。
まっすぐ帰る気にもなれず私たちははるちゃんの運転する車で、しばらくあちらこちらと走り回りました。途中立ち寄ったホームセンターのペットコーナーでジャンガリアン・ハムスターを見つけたはるちゃんが急に
「ねぇこれ1匹飼おうよ。」
と言い出しました。私としてはすばしっこいハムスターよりも、手の中でおとなしくしているモルモットの方がよかったのですが、私の所にはいずれアイメイトが来ることになるので(その時はたった3カ月後にノエルに出会うとは思ってもみなかったけれど)お世話は全面的にはるちゃんがすることになるので、はるちゃんの好きなものを飼うことにしました。
「むー太」と名付けられたこのハムスターは私たちを大いに楽しませてくれました。
「お父さんの足がなくなった日にそんなものを買って来るなんて」と母はいやな顔をしましたし、中には私たちのことを「ペット依存症の姉妹」などと言う人もありましたが、動物好きに生まれ着いてしまっった私たちには、これこそが不安と悲しみに縛られた心を癒す最良の方法だったのです。
夏が過ぎて行きました。むー太は毎日元気に回し車を回していました。ちちは次第に体力を快復し、車椅子に乗れるようになりました。
一方私とはるちゃんは、そろそろ二人暮しに限界を感じ始めていました。仲が悪いからではありません。デパートの店員をしているはるちゃんは、たいていお昼ごろ出勤し夜の10時ごろ帰って来ます。私の仕事は教師です。だから私たちの生活には基本的に数時間のずれがあるのです。お互いある程度我慢と妥協をしてうまくやっているつもりでも、実際には睡眠不足や体調不良などの形で跳ね返って来るのだからしかたがありません。
突然アイメイト協会から連絡が入り、8月29日から訓練に行くことになりました。そして同時に私たちの共同生活も終わりを迎えました。はるちゃんは洋服や漫画本その他の持ち物、それにむー太のケージを抱えてアパートを出て行きました。
「むーちゃん、ときどきはここに来てね。今度はワンちゃんもいるけど、怖くないワンちゃんだからね。」
藁の中で忙しそうに動き回っているむー太に私は言いました。
↓
(33)へ続く
ノエルの足跡33 はるちゃんとむー太君(続)
ノエルの足跡32 はるちゃんとむー太君
1998.07.11
目次
閉じる