私の姉の家に、4歳の牝のダルメシアンがいます。本名は「かなめ」というらしいのですが、みんな「かな」と呼んでいます。
かなは生後1カ月くらいのときに姉の所に来ました。あまりにも早く母犬から引き離すと犬社会に適応できなくなることがあるとよく聞きますが、不幸なことに、かなもそういう犬なのでした。父が犬を飼っていた頃、何とかしてかなの犬嫌いを直そうと、姉はよく彼女を家へ連れて来ていました。誰にでも友好的なイングリッシュ・セターのサリーが「遊ぼう」と近づいて行くと、かなはすごい勢いで逃げてしまうのでした。それでもサリーはくじけません。かなを追いつめ、お尻を上げて伏せるあのお強請りポーズでさらに甘えようとするのですが、かなは唇をめくり上げ、うなってサリーを脅し、それでも相手が諦めないのを見ると、震えながら姉に助けを求めに行き、膝にのってしがみつくのでした。
1歳になっても2歳になってもかなの犬恐怖症はなおりませんでした。大きくなったらお婿さんを迎えてかなに赤ちゃんを・・・などと考えていた姉夫婦の希望は、とっくのむかしに崩れさっていました。しかも問題はそれだけに留まりませんでした。かなは疑似妊娠をするのです。ヒートの度彼女はそわそわし始め、家の奥まった場所でガサガサと何やらやっていたかと思うと、ある日突然「赤ちゃん」を有無のです。それはゴム長靴であったりウルトラマンであったり、蛸の人形であったり、とてもバラエティーに富んでいました。姉はその度にため息混じりに笑いながら 「かながまた子育て始めたよ。」
と言うのでした。訪ねて来た人がからかい半分に「赤ちゃん」に触ったりしようものなら、かなは猛烈に怒りました。彼女は真剣だったのです。本当におっぱいが出るようになったことさえありました。正気の時にはとても甘えん坊で、私が行くと大喜びでじゃれついて来るかなですが、子育て中の彼女は私にも家族にもまったく無関心でした。と言うよりも、私たちに子どもを触られてはたいへんと思っているのかも知れません。ゴム長靴をそっとくわえて運ぶその様子には心打たれるものがありました。私たちに背を向けて家の奥へ去って行く彼女を見送りながら私は言うのでした。
「かなちゃん、犬を好きになったらいいお母さんになれるのにねぇ。」
これほど重傷ではありませんが、ノエルも犬嫌いのところがあります。ノエルとの信頼関係にまだ自信がなかった初めの3カ月ほど、私は姉の家を訪れる度にかなを家から連れだしてもらいました。姉夫婦は花屋をやっていて、2回が自宅なのですが、私が家を出る時に電話を入れると、いつもお店の従業員さんがかなを散歩に連れていったりお店の方にあずかってくれたりしました。1度だけお店を開けていない時に立ち寄らなければならない用事ができたことがありました。その時かなはかわいそうなことに、ベランダに締め出されてしまいました。入りたがって鳴く声を聞いていると、とてもおちついて話などしていられず、10分ほどで引き上げたのですが、やっと入れてもらった家の中に犬の臭いが残っていたとなれば、かなもさぞや気分が悪かったことでしょう。
2月のある日曜の午後、閑を持て余した私は唐突に
(そろそろかなちゃんとノエルを会わせてみようかな?)
と思い立ちました。
「今から行くけど、かなちゃんはおうちにおいてていいから。」
「本当?大丈夫?」
「うん、ノエちゃんこのごろいい子だから大人しくしていられるよ。」
ノエルが大人視くさえしていてくれたら問題はありません。かなの方には相手に攻撃をしかけるほどの勇気がないことは私にも姉にも分かっていました。
玄関のドアは開いていました。中へ声をかける間もなく、ダダダダッと音がして、かなが走りでて来ました。どういうわけか、かなは初めて会った日から私をとても気に入ってくれているのです。久しぶりにやって来た私をキッスの嵐で迎えようとしたかなは、私の目の前数10センチの距離まできてた時ノエルの存在にきづいて、後ろへ飛びのきました。そしてリビングの入口に立ち尽くして激しく吠えたて始めたのです。大好きな人が、大嫌いな犬を連れてやって来たのだから無理もありません。
「いらっしゃ~い。」
姉がまるでノエルなんかそこにいないみたいに、いつもの調子で言うと、私を中へ招き入れました。かなは猛烈に喚き散らします。ノエルもその声におびえて座り込んでしまいました。
私と姉はそれぞれ自分の犬のリードを持ってリビングのソファーにかけました。かなは姉の横に上がり込んで胸にしがみついています。ノエルは「ステイ」の命令を聞くと、私の足元にうずくまるように伏せました。
ノエルの足跡27 犬嫌いの2頭初めての対面
1998.06.18
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