「さっきサリーの子どもが来たよ。」
日曜日の午後外出先から戻った私に母が言いました
「サリーの子どもって?もうそんなに大きいわけ?」
「うん、姫って女の子はノエルと同じくらいあった。男の子はダンボっていうんだけど、小さいときに事故に遭って手術して、やっと助かったって言いよったよ。だから姫よりはだいぶ小さかった。」
私はこの話を容易に信じることができませんでした。私の心の中のサリーは、まだ子犬の雰囲気を残したままのおてんば娘だったのです。サリーがお母さんになったらしい話はもうずいぶん前に聞いていたけれど、それを事実として想像することが私にはまったくできませんでした。
サリーの新しい主人になった日との家には依然からサリーと同じイングリッシュ・セターの雄が2頭いました。その内の1頭「ノンコ」との間に9頭もの赤ちゃんが生まれていたのです。サリーがそのお宅の子になって3カ月目、つまり’97年の7月のことでした。7頭はそれぞれ行き先が決まり、すでに新しい飼い主の元で暮らし始めていました。しかしサリーを引き取ったTさんは、最もサリーに似ている2頭を私たちの為に残しておいてくださったのです。父が帰ってきて、また犬を飼う気になったら分けてくださるおつもりだったのです。
母の話を聞いているうちに私はどうしても子犬を見たくてたまらなくなりました。それより何より、本当はサリーに会いたかったのです。サリーが行ってしまった日、私は家にいませんでした。さよならも言えないまま、週末に帰ったときにはサリーとベルのハウスは空っぽでした。
私が何時間にもわたってサリーたちに会いにいきたい、いきたいと伊言い続けたので、ついに父が言いました
「お父さんもサリーがもらわれていったときは入院しとったもんねぇ。よし、んなら明日行ってみようか。」
サリーは覚えていました。父のことも、私のことも。あまり犬好きではない母や、その日運転手役でやってきた姉(同じ市内に住んでいる)のことまで。
「キュ~ン!!」
喜びともすすり泣きともつかぬ声をあげて、サリーは車椅子の父の膝に飛び乗り、その顔をなめ続けました。しっぽが揺れます。美しい、絹糸のような飾り毛のついたしっぽが私にペシペシと触れる、あのなつかしい感じ!
「サリーちゃん・・・」
呼ぶと今度は私の方へ飛んできました。
「サリー。会いたかった!元気だったの?よかったね。家族がいっぱいで、よかったね。」
「キュ~ン・・・」
サリーは本当に人の感情を読める子です。分かれる日の朝泣きながらハウスを掃除した妹が「サリーの眼も赤くなって、涙ぐんでた」と言っていました。みんなは「そんなのはあんたの思い込み」と言っていますが、私は本当だったような気がします。犬も感受性の豊かな子はときに涙を流すことがあると、何かの本で読んだことがあります。
一頻り私たちに甘えると、サリーは喜びのあまり、その家の庭を駆け回り始めました。家にいた頃と全く変わっていません。やがて、サリーの夫や子どもたち、もう1頭の雄犬もやってきました。みごとな光景です。5匹の美しいE.セターがしっぽをふりながら甘えてきます。
ノンコは痩せっぽちのサリーの倍ほどもありそうな体格で、サリーとは対象的に大人しい性格でした。飼い主のTさんがおっしゃる通り、姫はサリーにそっくり。
もようや顔だけでなく、性格もよく似ていて元気がいいのです。そしてこの姫が私にとてもよくなついてくれました。できることなら連れて帰りたい!それは私たちみんなの思いでした。でも家に犬を飼うのはもう無理なのです。
父がすべての思いを振り切るように言いました。
「さぁ、元気なサリーを見て安心したね。帰ろう。」
涙と感動の余韻に浸りながら私は一緒にきた姉の車に戻りました。ドアを開けるとノエルがうれしそうに顔を出します。が、次の瞬間、ノエルは私の臭いをフンフンと嗅ぎ始めました。
「ママ!これだれの臭い?私をおいて、どうしてよその子をなでなでしにいったの?!」
まるでそう言っているかのように、とがめるように、だめと注意してもノエルはますます鼻を押しつけてしつこく臭いを嗅ぐのです。ふと見るとハーネスがなんだかきつそうです。それもそのはず、首を出す所から左のまえあしまで一緒に出していました。初めて車の中にステイさせられた上にフェンスの向こうで何頭もの犬たちと戯れているらしい私の気配にとてもあせって悲しくなってしまったのでしょう。そしてなんとか私の所に来ようとしてもがいたのかも知れません。
「ごめんね、ノエル。さびしかった?」
私は言いました。
私の辛くて悲しい思い出を語って聞かせてもノエルは分かってはくれません。私もまたノエルの過去を知りません。彼女はどこで生まれ、どんな人に育てられて、こんなによい子になったのでしょう?ノエルが幼犬期を過ごしたお宅には、いま頃はもう新しいパピーが来ているかも知れません。サリーとの別れは辛かったけれど、彼女もまた新しい飼い主の元で幸せに暮らしています。そしてその子どもたちも。お別れ以来1ども会っていないベルだって、かわいがられて楽しく過ごしていると信じます。こうして私たち人間と犬は巡り会い、ともに生きていくのです。
私はまだ動揺の治まらないノエルのハーネスをなおしながら、心の中で言いました。
「ママはノエルが大好きだよ!ずーっと一緒に歩こう、ね!」
※21話と22話はありません
ノエルの足跡20 それぞれの過去・現在・未来
1998.05.02
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