朝7時半。
軽めの服従訓練をすませて、ノエルはハーネスを着けます。
いつもの道を、いつものバスに乗って、私の職場である盲学校へ向かいます。朝の服従訓練が軽めでよいのは、このお出かけに関しては、ノエルはあまりはしゃがず、舞い上がって私を危ないめに会わせることもないからです。
そう、ノエルは学校が好きではないのです。
なぜなら、ほとんど1日中、彼女は誰もいない部屋の片隅でステイしていなければならないからです。
学校にはもう1匹黒ラブの先輩盲導犬がいます。
彼は1日中ケージの中に寝そべって過ごします。
それが彼の育った盲導犬協会のスタイルなのです。
でもノエルは違います。常に使用者に寄り添って、その人と一体なのです。私はよその盲導犬協会のやり方をよいとか悪いとか論じるつもりは全くありません。でも私は私のやり方で行動させてもらおうと思いました。
ところが・・・
学校側の返事はこうでした。
「あなたはいままで自分で校内を歩いていたのだから犬を連れ歩く必要はないでしょう?廊下で待たせておきなさい」
確かに私は校内なら手ぶらでどこへでもいけます。場合によってはノエル無しの方が動き易いことだってあるのです。それでもなお私がノエルと歩きたかったのは、ノエルはいわば私の体の一部だからでした。それに、もし非常事態が起きたらどうでしょう?例えば火事、例えば地震・・・
棟違いの教室で授業をしている私は生徒の面倒も見なければならないのに、そのうえノエルの所へ走って行って、ハーネスとリードを着けて、連れ出さなければなりません。
「廊下では人に触られたりして、犬の仕事にも健康にもよくありません。せめて職員室で待たせてはいけませんか?」私は言いました。
「職員室ねぇ・・・。毛がちりますし、あなたの回りの席の人だって犬がずっとそばにいたらいやかもしれないでしょう?触られて困るのならH 先生のようにおりに入れたらどうですか?」
私の声は震えました。
「それだけはいやです!」
そしてノエルは、職員室の二つ向こうにある男子更衣室にステイすることになりました。そのころ学校は改修工事ををしていて他に適当な部屋がなかったのです。男子更衣室ですから、そうしょっちゅう入るわけにもいきません。
遠慮しながらそっとノックをして、中に人がいないのを確かめて、ドアをあけます。初めの2・3日、ノエルはぶるぶる震えながらドアをじーっとみつめていました。
「ごめんね。ママの力不足で、寂しい思いをさせて・・・」
震える体を抱きしめると、ノエルは私の顔をぺろっとなめました。
「きーんこーんかーんこーん・・・」
午後5時5分、チャイムが鳴門退庁時刻です。「速く迎えにこないかな」とノエルはそわそわし始めます。
「さぁ、帰ろう!」
ドアをあけると、もう立ち上がって尻尾を振り回しています。
「ダウン(伏せ)」
ステイを命じられたからには、その命令が解かれるまでは大人しくしていなければ模範的アイメイトとは言えません。多めに見たい気持ちをおさえて私は言いました。そして1日(昼休みには外へ連れ出すのですが)よく待っててくれたねと、たくさんたくさん誉めて上げるのです。
さぁ、帰りは朝とは違います。心はうきうき、おなかはすきすき、頭の中はお家にかえって食べるおいしいご飯のことでいっぱいなのです。こう言うときは気持ちが最高に舞い上がっていますから、びしっと服従訓練をやらなければなりません。服従訓練はノエルを落ちつかせるだけでなく、私とノエルの信頼関係をより硬いものにする大切な義務なのでした。
帰るのがうれしくてうれしくて、服従訓練の最中でも足の動きがやや飛び跳ねています。そしてハーネスを持った私が「ゴー」と命令すると、ノエルは尻尾を大きく左右に振りながら歩き出すのでした。
背中に二人の同僚の言い合う声が聴こえました。
「私ノエルちゃんに会って盲導犬のイメージ変わっっちゃったよ。」
「そうね、もっと大人しく言うこときいて仕事するものだとおもってた。」
私は心の中で言うのでした。
「ノエルはロボットじゃないのよ!心のある生き物なのよ!1日監禁されて、あなたは耐えられる?お家に帰ったらママと遊ぼうね、ノエル。」
服従訓練について
盲導犬協会でも、1歳半くらいまで(使用者との共同訓練が始まるまで)はケージに入れてます。これは子犬の性格を落ちつかせる為だそうです。家出は部屋の一角をハウスと決め、板やマットなどをおいて、そこが自分の場所と理解させます。初のうちはうろうろするので、ベッドチェーン(長さ1メートルくらいの細い鎖)を使って強制的にそれ以上歩き回らないようにします
ノエルはもうつないでいません(めいれいしておけばおとなしくしてるので)でもお風呂に入るときのようにノエルをみていられない時だけはねんのためチェーンをつけます。ケージに入れるよりは身動きがとれるし、自主的に「おとなしくしていよう」と言う意識も出てくると思います。
ところで、私たちの間では「ハウス」と「ステイ」には違いがあります。「ハウス」は本来の自分の場所にいること(ハウスと決められた範囲でなら体を動かしてよい)。「ステイ」はハウスの外や出かけた先で、ある一定の場所で(伏せて動かずに)じっとして主人を待っていることです。もう一つ「ウェイト
」と言うのがありますが、これは短い間そのままの姿勢で待っていることです。
服従訓練は、「座れ」「待て」「伏せ」「来い」「つけ」「拾え」など、みなさんもよくご存知の基本的動作を素早く確実にこなす為の訓練です。これがきちんとできないと、歩行に危険が生じるので、とても大切です。服従ができて初めて、人の前にたってリードできるようになるのです。
こんなところでお分かりいただけましたか?
よく、服従訓練でノエルがよそ見したりするときに少々きつく叱って落ちつかせるんですけど、それを見てる人に「犬をいじめてる」なんて言われたことがあるんです。私たちはこれから共同作業をするために気持ちを一つにしようとしてるんだってこと、理解してほしいと思いました。
ノエルの足跡9 盲導犬のイメージとは
1998.03.16
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