「ノエルの足跡」カテゴリの記事タイトル一覧(新着順)
- 2006.02.08・・・ノエルの足跡とは
- 1998.07.11・・・ノエルの足跡33 はるちゃんとむー太君(続)
- 1998.07.11・・・ノエルの足跡32 はるちゃんとむー太君
- 1998.07.01・・・ノエルの足跡30 未知の人に支えられて
- 1998.06.25・・・ノエルの足跡29 工事現場で
- 1998.06.21・・・ノエルの足跡28 ぶつかり合うジェラシー
- 1998.06.18・・・ノエルの足跡27 犬嫌いの2頭初めての対面
- 1998.05.28・・・ノエルの足跡25 信頼
- 1998.05.19・・・ノエルの足跡24 携帯電話の威力
- 1998.05.18・・・ノエルの足跡23 珍しい4人組み
- 1998.05.02・・・ノエルの足跡20 それぞれの過去・現在・未来
- 1998.04.16・・・ノエルの足跡19 おじいちゃんが帰ってきたっ!
- 1998.04.15・・・ノエルの足跡18 ドアの外にだれかが・・・
- 1998.04.06・・・ノエルの足跡17 現地訓練
- 1998.04.05・・・ノエルの足跡16
- 1998.04.03・・・ノエルの足跡15 私を育てた犬の心
- 1998.03.31・・・ノエルの足跡14 ハーネスで3人が一つに!
- 1998.03.20・・・ノエルの足跡11 ノエルと海
- 1998.03.18・・・ノエルの足跡10 冒険
- 1998.03.16・・・ノエルの足跡9 盲導犬のイメージとは
- 1998.03.15・・・ノエルの足跡8
- 1998.03.14・・・ノエルの足跡7 おじいちゃん大好き、でもベッドが怖い
- 1998.03.12・・・ノエルの足跡6 初めての飛行機
- 1998.03.12・・・ノエルの足跡4 ノエル、いよいよデビュー
- 1998.03.11・・・ノエルの足跡3 犬は飼い主に似る?!
- 1998.03.11・・・ノエルの足跡2 ノエちゃんのママになるからね!
- 1998.03.10・・・ノエルの足跡1 出会い
ノエルの足跡とは
アイメイト(盲導犬)のノエルちゃんとの出会いや生活を、ユーザーのAMIさんがニフティ・サーブ(現在のニフティ)に綴ったのが1998年のことでした。
当時、目の不自由な方を助けてくれる「盲導犬」のことは聞いたことはありましたが、実際の生活はAMIさんの投稿によって知り大変感銘を受けました。
AMIさんから転載許可をいただき私のホームページに掲載していましたが、PCのクラッシュでデータが損失してしまいました。今回、昔のファイルをInternet Archiveから引き出せたので、このブログに残すことにしました。
投稿日はAMIさんがニフティ・サーブにアップした日です。(時間は合っていません)
誤字・脱字は原文のままにしてあります。
5話、12・13話、21・22話、26話、31話はInternet Archiveにもありませんでした。また、34話以降があったのかどうかは記憶にありません。。。
2006年2月 8日|コメント (2)|トラックバック (1)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡33 はるちゃんとむー太君(続)
ところが私がつれて来たアイメイトは、とてもとてもむー太に会わせられるようなおとなしい子ではありませんでした。
アイメイトのハウスは普通ケージやサークルなどは使いません。身体を伸ばして寝られるくらいの広さの空間さえあればよいのです。ただしデビューし立ての数カ月から1年くらいは、ベッドチェーンと呼ばれる長さ50センチくらいの細い鎖に繋いで、おちつきのある性格を作り上げて行くのです。今でこそ「ハウス」と言われればチェーンなどなくてもじっとしていますが、当時はとてもそんなことはできませんでした。繋がれていてもときどき立ち上がってチェーンの届く限りハウスから身を乗り出して来ます。ちょっとした人の動きや物音にやたら反応し、私が油断すればすぐにお客様に飛びついて行ったりするのです。家にいる時だけ出なく外でも同じことで、犬好きの人が声をかけたりすると仕事なんかそっちのけで甘えて行きました。もちろん声を書けた人がよくないのですが、「仕事中の盲導犬に触ったり声をかけたりしてはいけない」という認識は、まだ社会に完全に行き渡ってはいないのでこちらが気をつけるしかないのです。
ノエルをつれて帰ってまず私がしたことは、ハウス作りでした。このおちつきのない犬を一刻も早くおとなしくさせなければなりませんから。私の家はアパートなので、壁にチェーン用のフックをねじ込むわけには行きません。それで90センチ4方の板を買って来てそこにマットを敷、角にフックを付けたのです。ノエルをテーブルの足に繋いでおいて、荷物を運んでくれた母の車に材料を取りに行ったのですが、戻って来た私はびっくり。震えながら待っていたノエルの鼻先に、かじり取られたぬいぐるみの鼻があったのです!それはティッシュカバーになっているスヌーピーのものでした。ティッシュも少しぼろぼろになって散らばっていました。新しい家に来てものの3分も経たないうちに、ノエルはさっそく叱られてしまいました。
数日後、はるちゃんが訪ねて来ました。
「えぇっ!?盲導犬って、もっとおとなしいのかと思ったなぁ。主人に似てるのかな?」
(それどういう意味だぁ!?)
実を言うと私自身も同じことを思っていました。それまでに見て来たアイメイトたちはもっとよい子だったからです。ただその子たちは私が見た時にはもう3歳とか5歳とかだったからにすぎず、2歳にもならない、デビューしたての犬はみなこういうものなのだと気がついたのは最近になってからです。
その後はるちゃんは何度も遊びに来ました。ノエルはだんだんにこのお姉ちゃんが好きになって行ったようです。ずいぶんおちついて来た今でもはるちゃんが来ると、まるで自己抑制がききません。すごい勢いでドアに飛んで行き、まだ靴もぬいでいないはるちゃんに抱きつき、ひっくり返り、身体をくねくね。しっぽは揺れっぱなしでなかなか止まりません。最上回に住んでいる私は、いつ下の住人から苦情が来るかとはらはらしています。
ある日実家に帰ると、ちょうど仕事の休みだったはるちゃんが、むー太をケージから出して遊ばせていました。
例によって「やっほう!お姉ちゃん!」とばかりダッシュで飛びついて行ったノエルは、はるちゃんの手のひらでごぞごぞ走り回っているむー太を見ると1歩後ろへさがり、急に凍り付いたように立ち尽くしてしまいました。鼻だけがピクピクしています。
(なんだかやばい雰囲気!このまま飛びついたらどうしよう?)
と思ったとたん、予感が的中です。ノエルは飛び出したばかりか、むー太のお尻にパクリ!はるちゃんの「キャァ!」と叫ぶ声。私より先に気づいた父が「こらっ!」と大声を出したので、ノエルはさっとむー太を離して部屋の隅に反省ポードでうずくまりました。むー太はおびえて震えながら藁の中へ潜り込んでしまいました。ノエルは前足の中にかくしている顔をひっつかまれ、いやというほどはり倒されました。
それほど叱られたにも関わらず、ノエルはむー太にちょっかいを出すのを止めませんでした。彼がケージに入っていると、すぐに近づいて行って臭いを嗅ぎまくり、金網をひっかきます。その度鼻をたたかれ、お尻をリードで鞭打たれ、それでも絶対懲りません。
そのうちむー太も慣れて来たのか、ケージに入っていればこの巨大な敵も臭いを嗅ぐ以外に何もできないと知ったのか、次第にノエルにおびえなくなりました。ノエルが金網に鼻を押しつけている目の前で悠々とひまわりの種をかじっています。
そしてついに彼は反撃に出たのでした!いつものようにノエルがケージに鼻をつけてふんふんやっていると、突然むー太が藁の中からひょっこり顔を出しました。はるちゃんと私がどうなることかと見ていると、むー太は大胆にも敵の顔の真正面に進み、いきなりその怪物の鼻をガリッと噛んだのです!
私たちはあまりのことに驚き、続いて爆笑してしまいました。
ノエルは、驚いたのと痛みとで「クシュン!」と言って逃げだし、鼻を床にこすり付けていました。
以来、むー太の平穏な生活が妨げられることは1度もありません。
1998年7月11日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡32 はるちゃんとむー太君
ここまですいぶんいろいろなことを書いて来てふときがついたのですが、私はまだノエルの大好きなある人物について1度もお話していませんでした。その人物とは、私と4歳違いの妹です。ノエルにとってはマの妹=叔母さんということになるのでしょうが、本人の希望もあって「お姉ちゃん」あるいは「はるちゃん」として教えています。
父が2度の大手術を受けて生死の境をさまよっていた昨年(1997年)の春から夏にかけて、私とはるちゃんは二人暮しをしていました。それまでは両親と、サリーとベルと同じ家に暮らしていたはるちゃんですが、母が病院に泊り込み、犬たちがいなくなって空っぽの家に毎日帰るのは、あまりにさびしかったのです。
父が足の手術を受けたひの夕方、私たちは母だけを残して病院を出ました。「痛い、痛い」と叫び呻く父の声が耳の奥にこびりついて離れませんでした。
まっすぐ帰る気にもなれず私たちははるちゃんの運転する車で、しばらくあちらこちらと走り回りました。途中立ち寄ったホームセンターのペットコーナーでジャンガリアン・ハムスターを見つけたはるちゃんが急に
「ねぇこれ1匹飼おうよ。」
と言い出しました。私としてはすばしっこいハムスターよりも、手の中でおとなしくしているモルモットの方がよかったのですが、私の所にはいずれアイメイトが来ることになるので(その時はたった3カ月後にノエルに出会うとは思ってもみなかったけれど)お世話は全面的にはるちゃんがすることになるので、はるちゃんの好きなものを飼うことにしました。
「むー太」と名付けられたこのハムスターは私たちを大いに楽しませてくれました。
「お父さんの足がなくなった日にそんなものを買って来るなんて」と母はいやな顔をしましたし、中には私たちのことを「ペット依存症の姉妹」などと言う人もありましたが、動物好きに生まれ着いてしまっった私たちには、これこそが不安と悲しみに縛られた心を癒す最良の方法だったのです。
夏が過ぎて行きました。むー太は毎日元気に回し車を回していました。ちちは次第に体力を快復し、車椅子に乗れるようになりました。
一方私とはるちゃんは、そろそろ二人暮しに限界を感じ始めていました。仲が悪いからではありません。デパートの店員をしているはるちゃんは、たいていお昼ごろ出勤し夜の10時ごろ帰って来ます。私の仕事は教師です。だから私たちの生活には基本的に数時間のずれがあるのです。お互いある程度我慢と妥協をしてうまくやっているつもりでも、実際には睡眠不足や体調不良などの形で跳ね返って来るのだからしかたがありません。
突然アイメイト協会から連絡が入り、8月29日から訓練に行くことになりました。そして同時に私たちの共同生活も終わりを迎えました。はるちゃんは洋服や漫画本その他の持ち物、それにむー太のケージを抱えてアパートを出て行きました。
「むーちゃん、ときどきはここに来てね。今度はワンちゃんもいるけど、怖くないワンちゃんだからね。」
藁の中で忙しそうに動き回っているむー太に私は言いました。
↓
(33)へ続く
1998年7月11日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡30 未知の人に支えられて
タクシーは雨の中ドアを閉ざしていました。
「だめですよ。動物は法律で禁止されてますからね。」
窓だけを開けて、運転手が言いました。盲導犬はその法律が示している「動物」には含まれないはずだと言っても、運転手は「そんな話しは聞いたことがない」と繰り返すばかり。
不幸中の幸いと言うべきか、すぐ後ろにもう1台、別の会社のタクシーが着てドアを開けてくれました。すると前の車の運転手があわてておりてきてて言いました。
犬乗せたらだめでしょう?」
「盲導犬は乗せていいんじゃないの?」
「聞いてないね。問題になっても知らないよ。」
「問題になんか、ならんよ。法律でいいって言ってるんだから。ぼくは勉強したよ。」
後ろのタクシーは、私とノエルを乗せて走りだしました。
「ありがとうございます。」
ふと我に帰って言うと、
「いや、ああいう遅れた人がいるからね。あなたたちもこんなことがあるからたいへんでしょう?」
運転手は、前のタクシーがT交通という会社のものだったことを教えてくれました。
私は家に帰るとすぐにT交通に電話をしました。
「あなたの会社では、タクシーに盲導犬を乗せないのですか?」
「そんなことはありませんよ。どこにいらっしゃるのですか?今から車をやります。」
「いえ、それはいいんです。もう別の会社ので帰って来ましたから。」
次に電話の向こうから聴こえて来た質問に私は唖然としました。
「断った車、何号車でしたか?」
盲導犬を使わなければならないような人間にどうしてタクシーの番号が読めるでしょうか?私がT交通に電話をしたのは、乗車拒否をした運転手を責めたかったからではなく、社員全員に理解を行き渡らせるべく指導をしてほしかったからなのです。
これは一つの例にすぎません。レストランで「他のお客様に迷惑がかかる」と断られる、ホテルで「ロビーはいいけどお部屋に宿泊してもらっては困る」と言われる、と言った具合に、当然受け入れられるべき場所から閉め出されてしまうことが結構よくあるのです。デパートの食品売り場で「衛生上よろしくない」と言われた時には、私も切れそうになりました。以前その食品売り場で、アイスクリームのついた手でべたべた商品に触っている子供を見かけていたからです。
(なぜあの子がとがめられないのに、ブラシをかけた上に窮屈な洋服まで着せられ、臭いを嗅ぐことも固く禁じられているノエルが、「犬だから」というだけで追い出されなくてはならないんだ!?)
そう思うと無性に腹が立ちました。
どういうわけか、2月3月は、この手の受け入れ拒否が多発しました.ある程度は覚悟していたはずだったけれど、こう何度も起こると気がくじけそうになります(決してノエルを迎えたことを後悔などはしていませんが)。私は元々自分の主張をどんどんアピールして行くような正格ではないのです。自分一人のことであれば、たとえ何か言われてもじっと我慢してしまうかも知れません。でも私は現在全国に800余名しかいない盲導犬使用者の一人として、社会に盲導犬への正しい理解を求めて行く責任があると思っています。こんな状況でも、10年前に比べたら盲導犬は一般の人にもよく知られるようになったし、受け入れてくれる飲食店、宿泊施設、病院なども増えて来ました。それは過去40年間、先輩方が自分の足で歩き、こつこつと道を開いて来てくださったからです。今盲導犬を持ちたいと思っている人は国内に何千人もいるそうです。私たちの後に続くであろうこの多くの仲間の為に、私もノエルと一緒に新たな道を開いていかなければならないと思うのです。
↓
(31)へ続く
1998年7月 1日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡29 工事現場で
私の住んでいるアパートの近くの横断歩道の周辺で、突然大工事が始まりました。フェンスがはられ、点字ブロックがはぎ取られ、そのうち、車歩道の境を示している僅かな段差までが削り取られてしまいました。
この横断歩道は、何差路と一口にいいあらわせないほど複雑な形をしています。工事などしていない普通の時でさえ、白杖を使って歩く視覚障害車には状況把握が難しく、できるなら避けて通りたい場所なのです。私自身ノエルに出会う前に、杖と僅かに残された視力を頼りに歩いていた頃にそこで怖い目に遭ったことは、以前にもかいた通りです。でもノエルが来てからというもの、毎日そこを通時に感じていた緊張感はまったくなくなっていました。行きたい方向さえ伝えておけばノエルは確実に、そして安全に誘導してくれるからです。
だから横断歩道がいきなり工事現場と化してしまっても私は少しもあわてませんでした。当然ながらフェンスのはり方や掘り返された道路の常態は日毎に変わるのですが、それでも私は
(大丈夫。ノエルならちゃんと歩いてくれる!)
と、完全にノエルを信頼しきっていたのです。
その朝も、私が横断歩道の始まる地点に立って「ゴー」と命令すると、ノエルは足を踏み出しました。。道のでこぼこを避けて、車の来ないのを確かめて、すいすい渡って行きます。
「グッド!今日も上手だ。」
交差展の中央部は、一反島のようになった歩道になっていて、私たちはそこを越えてさらに直進するつもりでした。ところがそこまで来てびっくり。今日はどうやらその島の部分が一面工事スポットになっているようなのです。
ノエルは何とかして通路をみつけようと、右へ左へ歩き回りました。彼女の動きにまかせてついて行くうちに、私は自分がどっちを向いているのか分からなくなってしまいました。眼のよく見える人は、ある程度離れた所にある目標物からでも自分の一や向いている方向を判断することができますが、私にはできません。
だだっぴろい交差点のど真ん中では、車の流れも、私の眼で僅かに見える建物の陰も、まったく情報を得る手がかりとはなりませんでした。工事は通勤ラッシュが過ぎる頃からしか始まらないらしく、そこには誰もいませんでした。
(交番だってあるのに、お巡りさんも見てないのね。)
絶望的な気持ちになっていると、ふいにノエルが島の中を歩き回るのを止めて道路を横切り始めました。でもバス停に向かう道でないことは私にも分かりました。
ノエルが立ち止まって鼻の先で指し示した歩道脇の看板に触れて私は感動で震えました。それはよく見慣れた病院の看板でした。私のアパートの1回はアパートとは持ち主の違う病院の受付になっているのです。
「ノエちゃん、おうちへつれて来てくれたの?」
私がはっきりと認識できる手がかりを求めていたことをノエルは知っていたのでしょうか?この看板を見せれば私がまた方向を確認することができると思いついたのでしょうか?熱いものがじーんとこみ上げました。いつものバスにはとうてい間に合わないけれど、もう一度初めからチャレンジする勇気がわいて来ました。
「ノエル一人に道を探させてごめんね。今度は一緒に歩くからね。もう1度行おうよ。」
私は少し遅刻することを学校に連絡すると、再び横断歩道へ向かって歩き始めました。
そうは言うものの今度あの島の部分をクリアできる確信はありません。ノエルは行く手を阻むフェンスの前でまたもやうろうろし始めました。今度は私も方向だけは見失わないように、車の流れと音響信号のかっこうの声に注意しながら言いました。
「バスに乗るんだよ。バス、バス。」
バス停はまだ100メートルほども先なのですが、私はそれ以外に方向を指示する命令語を思いつきませんでした。ノエルはひっしで通路を探しています。捜し物の苦手なノエルには、突然出現した障害物の間の細い通路をみつける作業が難しいことは、私にもよく分かっていました。でも私には公事現場がどんな風になっているか、まったく分からないのです。「一緒に探そう」と言ってはみたものの、通路の位置を示すヒントとなる指示さえ与えてやれない自分がもどかしくてたまりません。ついにノエルは歩くのをやめて
「わかんない!ごめんなさい・・・」
とでも言うようにうなだれ、地面に伏せてしまいました。自分もへたりこんでしまいたい衝動を押さえて私は言いました。
「だめ、行くの。歩くの。」
それから静かに「スィット(座れ」と命令し、しばらくそのくじけた心をなだめる為に背中を撫でていました。
次に私がしたことは、後から考えると不思議でならないのですが、この時は私もひっしだったのです。
「ねぇ、よく見て!がんばって!ノエちゃんにならできるから。絶対できるから。」
犬に通じるはずのないこんな言葉を、私は夢中でノエルにかけていたのです。
心を込めて。
奇跡が起こりました。頭を垂れたまま私の言葉を聞いていたノエルが急にシャキッと顔を挙げたのです。私もあわてて立ち上がりハーネスを握りました。
「ごー」
まっすぐ前を見つめ、迷う風もなく、ノエルは歩き始めました。私を気遣いながらフェンスの脇をすり抜けて。
ノエルが立ち止まったので様子をうかがうと、そこは交差点を渡り終えて歩道に上がった所のコーナーでした。
「偉い!偉いよ。やっぱりできたんだね。ノエルはすごいよ!」
うれしさのあまり私はノエルに抱きついてしまいました。ノエルも飛び上がって喜びました。私たちはこの日、二人で一つの壁を越えたのです。再びバス停へ向かって歩きだした私たちの後ろ姿をそっと見送ってくれた費とがいようとは、この時は思ってもみませんでしたけれど。
1998年6月25日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡28 ぶつかり合うジェラシー
私たちはしばらくとりとめのないおしゃべりを続けました。初めのうちはときどき「ワン」とか「ウー」とかいっていたかなもやがて静かになりました。ノエルも安心したのか、丸めていた体を長々と伸ばして寝ころんでしまいました。
「慣れて来たみたいね。これでこの子たちが仲良くなってくれたらねぇ・・・」
姉が言いました。
30分ほど経ったでしょうか。かなはそろそろ退屈し始めたようです。ノエルは今ではすっかりくつろいで、私の足に頭をのせてうとうとしていました。私がその頭を撫でると、うれしいのか、体をぐにゃぐにゃにして私にもたれかかって来ました。
するとどうでしょう!姉にぴったりくっついていたかなが少しずつ左へ移動して、私の方へ近寄って来たではありませんか。
「あれっ、かなちゃんどうしたんだろう?」
「ノエルちゃんをかわいがったから焼きもちじゃないかな?」
どうやら、姉の言う通りのようです。そっとにじり寄りながらノエルの様子をうかがっていたかなは、ノエルが何もしないのを見て取ると、大胆にも私の右側にぴったり寄りそう位置までやって来て、前足を膝にのせて顔をペロペロなめ始めたのです。
「へぇ!かなにもそんなことができるんだねぇ。ノエルちゃんが怖くても、あんたに甘えたいってさ。大したもんだぁ!」
姉も驚いて言いました。
「ググググーッ」
ノエルが足元で抗議の声をあげました(彼女はうれしい時にもいやな時にも喉からそういう声を出すのです)。こちらもまたジェラシーの炎が燃え始めたようです。
(こういう時こそ訓練訓練。)
ノエルに「ステイ」を続けるように命じてから私はかなに占領されていない左手で背中を撫でながら言いました。
「ノエちゃんも後で遊んであげるからね。」
でもそんな言葉がノエルに通じるはずはありません。かなが次第に調子にのって私の膝に全身で上がり込もうとした時です(もちろん私にはかなのその行動を許すつもりはなかったのですが)。突然「グォン」というような声をあげて、ノエルがムクッと起きあがったのです。
「ノー、ダウン。」
私の言葉も無視して、ノエルは立ち上がり、丁度かなと同じ姿勢で左側から膝に前足をかけて来ました。驚いたのはかなです。鼻がぶつかり合うほどの距離にいきなり相手の顔が現われたのですから。さっと飛びのき、再び姉にしがみつきました。
「かなちゃんがおねえちゃんをとろうとするからよ。おねえちゃんはノエルちゃんのおかあさんなんだから、あんたが悪いんだよ。」
姉は笑っています。
それはほんの一瞬のできごとでした。私は少しあせったのですが、ノエルはかながたいさんするとまるで何もなかったかのように、元の位置に伏せました。
「グッド。そうねぇ、ノエちゃんはよい子ねぇ。」
私はほっとして、ノエルを誉めました。こういう状況でも私に甘えたい感情をぐっと我慢しているノエルを、本当に成長したのだなぁと、幾分ほこらしい気持ちで誉めていると、悲しくなったのか、かなが急に「キャイーン、キャイイイイーン!!」と鳴き始めました。
「静かにしなさい!かなはおねえちゃんなのに、おかしいでしょ?」
姉がかなを叱って言いました。
結局この日、嫉妬深いお嬢さん方の争いは、私が帰るまで続きました。 夕食のテーブルは狭かったのでノエルをそのままソファーの前にステイさせて食卓につ 食事が終わった時、初めてノエルが自由の身になりました。ハーネスをはずされた彼女は仰向けにひっくりかえり、体をくねらせ、しっぽをバサバサ振り回し
て喜び、私と言わず姉夫婦と言わずじゃれつきました。こうなると完全にノエルの方が優勢です。
そこへ姉の友達が二人やっって来ました。
「あら、ワンちゃんがもう1匹遊びに来てるの?かなちゃんよかったねぇ。いや、かなちゃんは困るんだっけ?」
どうやらかなが極度の犬嫌いであることはみんなに知れ渡っているようです。
はしゃぎ回るノエル、逃げまどい部屋の隅にうずくまるかな。
夜8時になったのでそろそろ帰ることにしました。私が呼ぶとノエルはピタリと遊ぶのを止めて私の左側に座ってハーネスを受けました。
「あぁ、盲導犬なんだねこの子。へぇ、すごいな。けじめがしっかりついてるんだ!」
「本当、遊ぶ時はあんなに甘えるんやねぇ。街の中で見る時は大人しいから知らんかった!」
お客様たちはそんなことを言い合いました。
ノエルとかなは、あれからさらに数回顔を合わせる機会がありましたが、結局の所2頭は未だに仲良しにはなれていません。あからさまに喧嘩をするわけではないけれど、互いにそっぽを向き合っているのです。
昨日(6月18日)久しぶりに電話をかけてくれた姉が言いました。
「かなが今度は3匹赤ちゃんを産んだよ。長靴とダンベルとお人形・・・これでかなの子どもは10匹越えたな。」
1998年6月21日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡27 犬嫌いの2頭初めての対面
私の姉の家に、4歳の牝のダルメシアンがいます。本名は「かなめ」というらしいのですが、みんな「かな」と呼んでいます。
かなは生後1カ月くらいのときに姉の所に来ました。あまりにも早く母犬から引き離すと犬社会に適応できなくなることがあるとよく聞きますが、不幸なことに、かなもそういう犬なのでした。父が犬を飼っていた頃、何とかしてかなの犬嫌いを直そうと、姉はよく彼女を家へ連れて来ていました。誰にでも友好的なイングリッシュ・セターのサリーが「遊ぼう」と近づいて行くと、かなはすごい勢いで逃げてしまうのでした。それでもサリーはくじけません。かなを追いつめ、お尻を上げて伏せるあのお強請りポーズでさらに甘えようとするのですが、かなは唇をめくり上げ、うなってサリーを脅し、それでも相手が諦めないのを見ると、震えながら姉に助けを求めに行き、膝にのってしがみつくのでした。
1歳になっても2歳になってもかなの犬恐怖症はなおりませんでした。大きくなったらお婿さんを迎えてかなに赤ちゃんを・・・などと考えていた姉夫婦の希望は、とっくのむかしに崩れさっていました。しかも問題はそれだけに留まりませんでした。かなは疑似妊娠をするのです。ヒートの度彼女はそわそわし始め、家の奥まった場所でガサガサと何やらやっていたかと思うと、ある日突然「赤ちゃん」を有無のです。それはゴム長靴であったりウルトラマンであったり、蛸の人形であったり、とてもバラエティーに富んでいました。姉はその度にため息混じりに笑いながら 「かながまた子育て始めたよ。」
と言うのでした。訪ねて来た人がからかい半分に「赤ちゃん」に触ったりしようものなら、かなは猛烈に怒りました。彼女は真剣だったのです。本当におっぱいが出るようになったことさえありました。正気の時にはとても甘えん坊で、私が行くと大喜びでじゃれついて来るかなですが、子育て中の彼女は私にも家族にもまったく無関心でした。と言うよりも、私たちに子どもを触られてはたいへんと思っているのかも知れません。ゴム長靴をそっとくわえて運ぶその様子には心打たれるものがありました。私たちに背を向けて家の奥へ去って行く彼女を見送りながら私は言うのでした。
「かなちゃん、犬を好きになったらいいお母さんになれるのにねぇ。」
これほど重傷ではありませんが、ノエルも犬嫌いのところがあります。ノエルとの信頼関係にまだ自信がなかった初めの3カ月ほど、私は姉の家を訪れる度にかなを家から連れだしてもらいました。姉夫婦は花屋をやっていて、2回が自宅なのですが、私が家を出る時に電話を入れると、いつもお店の従業員さんがかなを散歩に連れていったりお店の方にあずかってくれたりしました。1度だけお店を開けていない時に立ち寄らなければならない用事ができたことがありました。その時かなはかわいそうなことに、ベランダに締め出されてしまいました。入りたがって鳴く声を聞いていると、とてもおちついて話などしていられず、10分ほどで引き上げたのですが、やっと入れてもらった家の中に犬の臭いが残っていたとなれば、かなもさぞや気分が悪かったことでしょう。
2月のある日曜の午後、閑を持て余した私は唐突に
(そろそろかなちゃんとノエルを会わせてみようかな?)
と思い立ちました。
「今から行くけど、かなちゃんはおうちにおいてていいから。」
「本当?大丈夫?」
「うん、ノエちゃんこのごろいい子だから大人しくしていられるよ。」
ノエルが大人視くさえしていてくれたら問題はありません。かなの方には相手に攻撃をしかけるほどの勇気がないことは私にも姉にも分かっていました。
玄関のドアは開いていました。中へ声をかける間もなく、ダダダダッと音がして、かなが走りでて来ました。どういうわけか、かなは初めて会った日から私をとても気に入ってくれているのです。久しぶりにやって来た私をキッスの嵐で迎えようとしたかなは、私の目の前数10センチの距離まできてた時ノエルの存在にきづいて、後ろへ飛びのきました。そしてリビングの入口に立ち尽くして激しく吠えたて始めたのです。大好きな人が、大嫌いな犬を連れてやって来たのだから無理もありません。
「いらっしゃ~い。」
姉がまるでノエルなんかそこにいないみたいに、いつもの調子で言うと、私を中へ招き入れました。かなは猛烈に喚き散らします。ノエルもその声におびえて座り込んでしまいました。
私と姉はそれぞれ自分の犬のリードを持ってリビングのソファーにかけました。かなは姉の横に上がり込んで胸にしがみついています。ノエルは「ステイ」の命令を聞くと、私の足元にうずくまるように伏せました。
1998年6月18日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡25 信頼
Yさんは1月5日の夕方飛行機で東京へ帰って行きました。楽しい年末年始休暇が終わると、元の生活が戻って来ます。私は仕事、ノエルは1日中薄暗い男子行為室でひたすらステイの毎日です。1週間以上も、1日中べったりくっついて離れない日が続いたので、ノエルはすっかり甘えん坊になっていました。
(ちゃんとお行儀よく私を待っていてくれるだろうか?前みたいに鳴いたり回りのものをかじり壊したりしないだろうか?)
私はとても不安でした。わざわざ宮崎まで来て訓練をしてくださった指導員のTさんは帰る前におっしゃったのです。
「これでノエルがちゃんとステイできなかったとき、どんな風に躾けたらいいか分かったでしょ?しっかりやってください。」
言いつけを守らなければびしっと叱らなければならないことは私にだって分かっています。けれどもノエルがつい騒ぎを起こさずにいられなくなる気持ちもよく分かるのです。私が彼女にさせていることは犬の忍耐力の限界を越えているように思われました。まず主人から少し離れた場所で20分くらい待てるようにする。これができたら今度は主人の声や臭いが届かない所で練習し、徐々に時間を延ばして最終的には2時間くらい待てるようにする。それが、私が訓練中「卒業したらやるように」と言われたステイの躾け方でした。ところがノエルは宮崎に帰って来たとたんに、朝から夕方までじーっとしていなければならない生活を強いられたのです。知らない男の人たちが入れ替わり立ち替わりやってくる行為室で、来る日も来る日も・・・。ノエルを叱りつける度私の心はちくちくと痛みました。
しかし私の不安に反して、3学期に入ってからのノエルはとてもよい子でした。お出かけ大好きのノエルではありますが、それまで朝バス停に向かう道だけは足どりが重く私を困らせていたものです。でも今は違います。「行くよ」と言うとすばやく駆け寄って来ます。アパートの階段を3階から一気に下りて、元気よくバス停へと向かうのでした。ノエルの軽やかな足どりが、左手のハーネスを通して伝わって来ます。
「ノエルは大丈夫。今日も1日ちゃんと待っているからね。ママもがんばって!」
私はその規則正しいリズムに励まされるように、彼女の動きに合わせて歩いて行きました。丁度同じ頃私は職務上のトラブルでとても悩んでいたのです。
(私がノエルをなんとか励まそうとしてたはずなのに、いつのまにか私の方が慰められて、ノエルから元気をもらってる・・・)
気づいて私は苦笑してしまいました。
学校に着くとノエルはわき目もふらずまっすぐに歩いて、職員室を通り過ぎて、二つ向こうの行為室のドアにぴたりと顔をつけました。誉めながらドアを開けると、しっぽを緩やかにふりながら、すーっと自分の横たわるべき位置へ進んで、ハーネスをはずす私の手に身をまかせます。
「よい子になったねぇ、ノエちゃん!」
私はおもわず彼女を抱きしめてしまいました。
(ありがとう、ノエル!こんな所に閉じこめているのに・・・)
私は1・2時間に1度は必ずノエルに会いに行くことにしました。2学期まではそれが男子行為室ということもあってなかなか入い辛くて、用事のあるとき以外はいかないようにしていたのですが、考えてみれば、遠慮する必要はないのです。1日一緒に校内も歩きたいと言った私の願いを聞き入れずにこういうやり方を強要したのは学校側なのですから。
ドアを開けるとノエルは静かに顔を上げました。以前のように、暴れて足にチェーンが絡んでいたり、かじられた書類がそこら中にちらばっていたりすることは1どもありませんでした。私は何度も何度も彼女の頭や背中を撫でて、時間のゆるす限り一緒にいました。ノエルはうれしそうに耳を後ろに伏せて顔を私の手にすりよせます。しかし時間の許す限りとは言っても、そう何十分もそこにいられるわけはありません。すぐにまた「ステイ」を言わなければならないときが来ます。私はこの言葉を半分憎んでいるほどでした。
こんな暮らしの中で、ノエルは私に絶対の信頼を置くようになっていました。言葉で伝えきれない私の思いを、彼女は敏感に感じとってくれたのです。自分がこんなおちつかない部屋で寂しい思いをしている間、私も別の場所でいつもノエルのことを気にしているのだと、分かってくれたのでした。
(チャイムがなればすぐに会いにきて誉めてくれるんだ!)
そう信じてノエルは、校内放送用のスピーカーをときどき見上げながら、静かに伏せていました。
成人の日を過ぎた頃、改修中だった校舎の工事が終わりました。私の持ち場であるテープライブラリーを教室として使っていたクラスも元の部屋へ戻りました。ついにノエルが行為室住まいから解放される時が来たのです!校内を歩くことは引続きできませんが、この部屋には私は好きな時に行けるし、授業が入っていない時間なら1時間ずっとそこにいてもいいのです。
「さぁノエちゃん、お引っ越しだよ。」
私はノエルにリードをつけて左手で引き、右手にはハーネスやハウス用のマットなどをかかえて、テープ室の横へ通じる階段を駆け上がって行きました。
☆筆者より
今回の話は第9話に基づくもので、途中から読んでくださった方には少し分かりにくい点があったと思います。申し訳ありません。なお「テープライブラリー」とは、眼の不自由な人の為に本を朗読し、テープに録音したものを集めている図書館のような部屋です。私は、盲学校の職員で、公務分掌で図書係をやっています
1998年5月28日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡24 携帯電話の威力
信号を渡り終えると、ノエルは向いがわの歩道の角で立ち止まりました。私はそこでYさんの来るのを待ちました。ところが信号が赤に替わって、今渡ってきた通りを車がびゅんびゅん行き交い始めても二人が来ないのです。
「Yさんちゃん!」
私は人の波に向かって呼んでみましたが返事はありません。
「ねぇノエル、レーちゃんを捜してよ。」
困った私はついにそんな無謀な注文をしてしまいました。もちろんそんな言葉の意味が分かるとは思えないのですが、ノエルはけなげにも私を見上げながら歩き始めました。でもやっぱりだめです。ノエルはしばらくさまよった後で、申し訳なさそうに頭を地面にすり付けて伏せてしまいました。叱られた時などによく見せる「ごめんなさい」のポーズです。
「もういいよ。ノエちゃんは悪くないんだからね。ごめんね。」
私はなんだかノエルがかわいそうになって、そのうなだれた頭を撫でながら言いました。
(ノエルに捜させようなんてひどい話だ!口のきける私が人に尋ねてみればいいことなのに。)
私はノエルに過度に頼ろうとした自分を反省し、気を取り直して立ち上がりました。
「あら、さっきのと似てるわよ。」
「もう1匹いたぁ!」
すれ違う人の会話の中にそんな声が聴こえてきました。Yさんたちが近くにいることはまちがいなさそうです。けれどもお正月のメインストリートは人の流れが速すぎて、なかなか声をかけても振り向いてくれる人はいませんでした。
少し話がそれますが、私はノエルと生活するようになって、世の中には盲導犬使用者に対してある誤解をしている人が結構多いことに気がつきました。それは「盲導犬は使用者が『どこどこへ行きたい』と言いさえすればどんどん引っ張っていってくれるから人間の方はただついていけばよい。だから盲導犬をつれていてば眼の不自由な人でも道が分からなくなるようなことはないだろう。」という誤解です。実際には、使用者の頭の中に地図が入っていて、的確に方向指示をしなければ私たちは1歩も歩くことはできません。犬はたとえ道を知っていたとしても、主人の命令無しにかってに進むことは許されないのです。私が白杖を持って歩いていた頃には人からよく声をかけられました。それは「お手伝いしましょうか?」という優しい言葉だけではなく「あんたみたいなのが一人で歩いてるとはらはらしてしかたがないからつれてっってやるよ。どこへ行きたいんだい?」というやや乱暴な言葉だったこともありました。ノエルが来てからはそんな風に声をかけられることはほとんどなくなりました。少なくとも後の方の人のような言い方は全くと言っていいほどされることはありません。みんな「見て見て。盲導犬だよ!」などと言いつつ私たちを見送っています。ときどき話しかけて来る人があるとすれば、大方は犬好きの人で「偉いわねぇ!」とか「大人しいんですねぇ!」などというノエルへの誉め言葉です。誰一人として、私が道に迷っているかも知れないなんて思ってはいないようです。それでこちらから尋ねる為に「すみません」と言いながら近づいて行くとノエルが気をきかせてその人を避けてしまいます。きっと(あっママが障害物にあたっちゃう!)とでも思っているのでしょう。こんな時まで賢い不服従で私を守ろうとするかわいいノエル!避けられた人も、私が「すみません」と言ったのはきっと自分にぶつかりそうになったので謝っているのだろうと思って「大丈夫です世」などと笑いながら行ってしまうのです。
なかなか人をつかまえられず右往左往していると、突然私のPHSが鳴り出しました。
「AMIちゃ~ん!どこにいるの~?」
Yさんでした。彼女も、はぐれてしまった私たちを捜しあぐねて自分の携帯電話で助けを求めてきたのです。
Yさんたちは大通りと直角に交わる歩行者専用アーケードを、私たちからだんだん遠ざかる方向に向かって進んでいるようでした。さっき大通りを渡り終えた時、私は当然合いても歩道に上がった所で立ち止まるものとおもっていたのですが、レベッカちゃんは幅が広く人通りの多い横断歩道でコーナーを見失って、そのまま直進してアーケードに入ってしまったのでした。Yさんも横断歩道の先がどうなっているか知らなかったし、レベッカちゃんがノエルのあとをつけていると信じてその動きに従いました。そうとも知らず歩道のコーナーでじっと待っていた私たちとの距離は次第に開いてしまっていたのでした。
私はYさんに今来た道を引き換えすように言って、電話を繋いだまま言葉で誘導しました。
「あれ?レーちゃんがパチンコ屋に入っちゃった。」
「あははは、パチンコやらないで戻ってきて。そのまままっすぐ。・・・うーん、もうそろそろだと思うんだけど・・・」
今度は電話を見みから離して「おーい!」と呼んでみました。と、いきなり後ろから右てに冷たいものが・・・。レベッカちゃんの鼻でした。
「なんだ!すぐ後ろにいるじゃないの。」
1メートルと離れていない距離で電話をしていた事実がおかしくて、私は苦笑してしまいました。見ていた人も、さぞや変なやつらだと思ったことでしょう。2頭のアイメイトたちもほっとしたのか、静かにしっぽを揺すっていました。
自由に公衆電話を捜したり一目で回りの状況を判断したりすることのできない視覚生涯者や移動の困難な肢体不自由者にとって、携帯電話やPHSの普及は一種の革命をもたらしたと思います。私自身もアイメイトとPHSをいつも身近におくことで、以前よりずっと気がるに外出できるようになりました。ですから携帯電話が不適切な使われ方をして事故や騒音公害などの社会問題になっているヌースを聞くのは残念でなりません。
1998年5月19日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡23 珍しい4人組み
1月3日の夕方になると、部屋でごろごろしておしゃべりばかりという過ごし方にも少し飽きてしまいました。天気がぱっとしないとは言え雨が降りそうな様子ではなかったので、外へ出かけてみることにしました。
私の住んでいる所から南へ20分ほど歩くと、宮崎市の繁華街たちばなどおりに出ます。バスもよく通るのでわざわざ歩いていく人は少ないのですが、私はお散歩好きのノエルにつきあって、よくそこを歩きます。そのかわり帰りはノエルに我慢してもらってバスで戻って来ます。
そこで、このおなじみのコースをYさんたちにも歩いてもらって、私の住んでいる辺りの様子を感じてもらうことにしました。ノエルはこの日も元気よく歩
きました。ときどき後からついてくる二人を気にしながら。でも毎日人混みを押し分けながら歩いている都会暮らしのレベッカちゃんと違って、やたらに足が速いのです。私もそのスピードを別段速いとも思わないくらい、彼女のペースに慣れてしまっていました。私もじつはもともと歩くのが速い方らしいのです。まだノエルがいなかった頃、よく腕をかして一緒に歩いてくれた人が「どっちがつれて歩いてんだかわかんないよ」と言っていたものです。
アイメイト使用者が二組みで歩くときは「タンデム歩行」といって、前の人が曲がり角へ来たら必ず立ち止まって後の人を待ちます。そしてお互いの存在を確認してから再び歩き始めるのです。
ノエルは歩道のふちに前足をかけて立ち止まりました。
「コーナー。グッド、グッド」
そう言いながら待っているのですがYさんがなかなか来ません。30秒ほどもしてからようやく私の右側に、レベッカちゃんが丁度ノエルと同じような
ポーズで立ち止まりました。
「コーナー。グッド、グッド・・・」
Yさんのその声は息が切れていました。
「ノエちゃんたち、速いよー。小走りでも追いつけない。」
「いや、ごめんごめん。田舎者なもんで・・・」
この先は人通りが増えてきます。お互いのハーネスの音はとても聴こえません。私はそのことを予想して、自分のバッグにかなり大きな音のする鈴をつけてきたのですが、それだってやくにたたないかも知れません。私はノエルに「イージー(ゆっくり)」と何度も声をかけながら歩いていきました。
大通りに出るとたちまち人々の視線が注がれます。普段ノエルと二人だけで歩いているときでもあちこちから
「あっ盲導犬だ!」
とささやく声が聴こえてきます。中には駆け寄って触ったり口笛をふいたりする人などもいてとても困ります。もっと困るのは私に気づかれないようにノエルとアイコンタクトしている人です。なんだかおちつきがないな、と思うと、はるか向こうからノエルと目を合わせて手をふっていたりするのです。相手の存在が分かるときは「仕事中ですのでそっとしておいてください」と言うようにしていますが、こういう場合は私は気を奪われたノエルを叱る以外にどうすることもできません。
宮崎市内で活動している盲導犬が5頭、県内全域でも12頭しかいない土地柄で(全国レベルから観ても決して少なくはないのですが)一変に2頭の犬が並んで歩いているのを見たとなればそれは当然人々をかなり興奮させるでしょう。いろんな声が聴こえてきました。
「きゃぁ!2匹いるよー。かわい~い!」
「偉いねぇ!ちゃんとはしっこを並んで歩いてるよ。」
「前が雌で後ろが雄かな?」
「あれ、1匹はラブだけど、もう1匹は何?ゴールデンかな?」
かなり誤解あり。ノエルより大きくて引き締まった体形のレベッカちゃんを見て男の子と思ったのでしょうが、じつはノエルの体がやたらちいさく顔つきもほんわりしているというだけのことで、二人とも紛れもない女の子です。少し茶色がかった直毛のレベッカちゃんに対してやや巻毛混じりで明るい色の毛を持つノエルを見て「ごーるでんかな?」と言ったのでしょうが(それも私に言わせてもらえばそうとう無理があるように感じられるのですが)、どちらもまちがいなくイエローのラブなのです。好きかってなことを言っている人々の間をぬけて進んでいくと、5・6歳ぐらいの男の子が二人叫びながら走っていきました。
「あ!二ついるー!おんなじやぁ、おんなじやぁ!!」
(うん、君達は大人よりも正しいぞ。)
しばらくして、どこかでお茶でも、ということになりました。私が思いついた店へ行く為には大通りを横断しなければなりません。信号が青に替わると、私たちと一緒に大勢の人が流れていきます。私たちはもうお互いがどこにいるのか分からなくなってしまいました。でも大丈夫。タンデム歩行の原則さえ守っていれば、向こうの歩道に上がった所でレベッカちゃんは待っていてくれるに違いありません。ぶつかりそうになる人々を右へ左へとかわして進むノエルを誉めながら私は安心してついていきました。
1998年5月18日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡20 それぞれの過去・現在・未来
「さっきサリーの子どもが来たよ。」
日曜日の午後外出先から戻った私に母が言いました
「サリーの子どもって?もうそんなに大きいわけ?」
「うん、姫って女の子はノエルと同じくらいあった。男の子はダンボっていうんだけど、小さいときに事故に遭って手術して、やっと助かったって言いよったよ。だから姫よりはだいぶ小さかった。」
私はこの話を容易に信じることができませんでした。私の心の中のサリーは、まだ子犬の雰囲気を残したままのおてんば娘だったのです。サリーがお母さんになったらしい話はもうずいぶん前に聞いていたけれど、それを事実として想像することが私にはまったくできませんでした。
サリーの新しい主人になった日との家には依然からサリーと同じイングリッシュ・セターの雄が2頭いました。その内の1頭「ノンコ」との間に9頭もの赤ちゃんが生まれていたのです。サリーがそのお宅の子になって3カ月目、つまり’97年の7月のことでした。7頭はそれぞれ行き先が決まり、すでに新しい飼い主の元で暮らし始めていました。しかしサリーを引き取ったTさんは、最もサリーに似ている2頭を私たちの為に残しておいてくださったのです。父が帰ってきて、また犬を飼う気になったら分けてくださるおつもりだったのです。
母の話を聞いているうちに私はどうしても子犬を見たくてたまらなくなりました。それより何より、本当はサリーに会いたかったのです。サリーが行ってしまった日、私は家にいませんでした。さよならも言えないまま、週末に帰ったときにはサリーとベルのハウスは空っぽでした。
私が何時間にもわたってサリーたちに会いにいきたい、いきたいと伊言い続けたので、ついに父が言いました
「お父さんもサリーがもらわれていったときは入院しとったもんねぇ。よし、んなら明日行ってみようか。」
サリーは覚えていました。父のことも、私のことも。あまり犬好きではない母や、その日運転手役でやってきた姉(同じ市内に住んでいる)のことまで。
「キュ~ン!!」
喜びともすすり泣きともつかぬ声をあげて、サリーは車椅子の父の膝に飛び乗り、その顔をなめ続けました。しっぽが揺れます。美しい、絹糸のような飾り毛のついたしっぽが私にペシペシと触れる、あのなつかしい感じ!
「サリーちゃん・・・」
呼ぶと今度は私の方へ飛んできました。
「サリー。会いたかった!元気だったの?よかったね。家族がいっぱいで、よかったね。」
「キュ~ン・・・」
サリーは本当に人の感情を読める子です。分かれる日の朝泣きながらハウスを掃除した妹が「サリーの眼も赤くなって、涙ぐんでた」と言っていました。みんなは「そんなのはあんたの思い込み」と言っていますが、私は本当だったような気がします。犬も感受性の豊かな子はときに涙を流すことがあると、何かの本で読んだことがあります。
一頻り私たちに甘えると、サリーは喜びのあまり、その家の庭を駆け回り始めました。家にいた頃と全く変わっていません。やがて、サリーの夫や子どもたち、もう1頭の雄犬もやってきました。みごとな光景です。5匹の美しいE.セターがしっぽをふりながら甘えてきます。
ノンコは痩せっぽちのサリーの倍ほどもありそうな体格で、サリーとは対象的に大人しい性格でした。飼い主のTさんがおっしゃる通り、姫はサリーにそっくり。
もようや顔だけでなく、性格もよく似ていて元気がいいのです。そしてこの姫が私にとてもよくなついてくれました。できることなら連れて帰りたい!それは私たちみんなの思いでした。でも家に犬を飼うのはもう無理なのです。
父がすべての思いを振り切るように言いました。
「さぁ、元気なサリーを見て安心したね。帰ろう。」
涙と感動の余韻に浸りながら私は一緒にきた姉の車に戻りました。ドアを開けるとノエルがうれしそうに顔を出します。が、次の瞬間、ノエルは私の臭いをフンフンと嗅ぎ始めました。
「ママ!これだれの臭い?私をおいて、どうしてよその子をなでなでしにいったの?!」
まるでそう言っているかのように、とがめるように、だめと注意してもノエルはますます鼻を押しつけてしつこく臭いを嗅ぐのです。ふと見るとハーネスがなんだかきつそうです。それもそのはず、首を出す所から左のまえあしまで一緒に出していました。初めて車の中にステイさせられた上にフェンスの向こうで何頭もの犬たちと戯れているらしい私の気配にとてもあせって悲しくなってしまったのでしょう。そしてなんとか私の所に来ようとしてもがいたのかも知れません。
「ごめんね、ノエル。さびしかった?」
私は言いました。
私の辛くて悲しい思い出を語って聞かせてもノエルは分かってはくれません。私もまたノエルの過去を知りません。彼女はどこで生まれ、どんな人に育てられて、こんなによい子になったのでしょう?ノエルが幼犬期を過ごしたお宅には、いま頃はもう新しいパピーが来ているかも知れません。サリーとの別れは辛かったけれど、彼女もまた新しい飼い主の元で幸せに暮らしています。そしてその子どもたちも。お別れ以来1ども会っていないベルだって、かわいがられて楽しく過ごしていると信じます。こうして私たち人間と犬は巡り会い、ともに生きていくのです。
私はまだ動揺の治まらないノエルのハーネスをなおしながら、心の中で言いました。
「ママはノエルが大好きだよ!ずーっと一緒に歩こう、ね!」
1998年5月 2日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡19 おじいちゃんが帰ってきたっ!
私がフォローアップ訓練を受けるより数日前に、病院でリハビリを続けていた父がようやく退院しました。2月に心筋拘束で倒れて以来10カ月にも及ぶ入院生活でした。心臓周辺の大きな血管の99パーセントが詰まっていたにも関わらずバイパス手術で一命を取り留め、家族が喜んだのもつかのま、合併症で足に血液が回らなくなり、両足を失ってしまいました。行動の自由を奪われ、大好きな犬たちと再び野山を駆け回る夢を奪われて、どんなにか悔しく辛かったことでしょう。けれども父は1度として不自由な身体になったことを嘆くような言葉を口にしませんでした。それどころか
「せっかく命拾しいたんだ。拾った命は楽しまんと損だ」などと笑い飛ばしているのです。
「家の中でわざわざ偽足を着けたり車椅子に乗ったりするのはめんどくさい。」
そう言って父は、板にキャスターを付けたようなもの(普通は農作業に使うものだそうです)を買ってきました。その上に座って、ボートを漕ぐようにして手で床を押して進もうというのです。が、キャスターの分だけ床と板の間に高さがあったのでうまくいかず、その計画は1日で取りやめになりました。
「しょうがない。車椅子に乗るか。」
車椅子の父をノエルが珍しそうに見上げています。
「ノエル、どいてくれ。じいちゃんが通るから。こら、どかんとひかれるぞ。」
それでもノエルは動きません。車椅子でのっかられたら痛いなどとはちっとも思っていないのです。
いきなり車椅子からマジックハンドが伸びてきて、ノエルの首をがちっととらえました。これも父のアイディアでした。おもちゃのマジックハンドを自分の腕の延長として、自分はまったく動かずに遠くのものを持ち上げたり動かしたりしようというのです。突然変なものでつかまえられたので、臆病者のノエルはびっくりしてたちまち逃げだしました。
休暇に入ったので私も帰省することにしました。実家に到着すると、玄関でノエルのハーネスをはずし、ついでにリードもはずしました。ノエルとの生活も3カ月を過ぎて、私は1日中彼女をハウスにチェーンで繋いでおくことをしなくなっていました。命令しさえすればちゃんとハウスに戻ってじっとしていてくれるので、ある程度の自由を与えたのです。
「ただいまぁ!」
リードをはずしながら家の中に向かって言うと父が奥の部屋から
「おお、ノエルおかえり」
と言いました。
(なんだそりゃ?私にはおかえり言わないでいきなりノエルか・・・)
ノエルは大喜び。「静かに」という私の注意も聞かずにすっ飛んでいきました。そして一頻り父に甘えたところでふと我に帰り、私を捜したのですが・・・
私の姿を見つけて走りだそうとしたとたん、ノエルは首が絞ってむせてしまいました。いつの間にか父は自分の車椅子の肘かけに、私がテーブルにおいていたリードでノエルを繋いでいたのでした。
「もう動かれんよ。じいちゃんと一緒にずーっとおりなさい。」
(なんてこった!このじいちゃんにしてこの孫あり。)
私はあせっているノエルを残して別の部屋へいって、母としゃべったりなどして1時間ほど過ごしました。そしてもとの部屋に戻ると、おや?父とノエルがいません。
(無断で私のノエルをつれ去るなんてひどいぞ。)
家の中に姿が見あたらないので庭へ降りて見ると・・・?いました、いました。二人は仲良く並んで庭でお昼寝をしていました。
父の開発したグッズの中に「草取りマット」というのがあります。切り売りカーペットを買ってきて1メートル4方ぐらいのものを2枚作ります。2枚並べた手前のマットに座りその回りの草を抜いて、終わったら向こうのマットに乗り移って、1枚目をそのまた向こうへしきなおして、どんどん移動しながら作業を進めていくというものです。草取りマットのおかげで荒れ果てた庭も徐々に生気を取り戻しつつありました。
このところ、12月とも思えないぽかぽか陽気が続いていました。草を抜いているうちに眠くなったのでしょうか。父は2枚並べたマットの上に横になって寝入ってしまったのです。そしてノエルは、なんと父の左足の偽足の金具にリードで繋がれて、父の腕枕でこれまた気持ち良さそうに眠り転けていたのでした。
こののどかな光景を写真に撮っておけばよかった(筆者の感想)
1998年4月16日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡18 ドアの外にだれかが・・・
12月27日土曜日。朝10時頃T さんから電話があったので前日のタオル引きちぎり事件のことを話すと
「う~ん、そういうことかぁ・・・」と考え込んでいましたが、やがて
「よし、じゃぁ、今日は学校で訓練してみよう」と言い出しました。
「あなたとノエルはバスで行ってください。後から車でついていきますから。僕は訓練終わるまでノエルからは存在を悟られないようにしています。」
Tさんは、アイメイト協会ではノエルの担当指導員ではありませんでしたが、ノエルが彼を、そこらの普通の人とは違うということを敏感に嗅ぎ取っているかも知れません。1日目の仕事ぶりが予想外によかったのは、そのためだろうと言うのです(そのコメントは私には少しばかり侵害でしたが)。
まず初めにアパート前の路上で服従訓練とステイの練習をしました。なんの問題もありませんでした。物陰に隠れて見ていたTさんが
「いやぁ、できるんだなぁ!これはかなり時間かかるかな?」と呟きました。
年末休暇に入った校内は静まり返っていました。警備員のおじさんに犬の訓練で入る旨を伝え、いつものようにノエルを男子更衣室にステイさせ、ドアを閉めて立ち去るふりをしました。と、どうでしょう!宮崎に返ってきて初めの数日を除いて は待機中に鳴いたりしたことのないノエルが「クーン!クーン!」と声をあげて、ばたばたし始めたのです。ぶるぶるをして、床を引っかき、何やらがさがさやっている様子。
「あれあれ、こんなに簡単に始まるとは思わなかったな。」
Tさんがおかしそうに言いました。
(いつもはこうじゃないのに!)
ノエルは静かな場所に一人で残されることがとても苦手なのかも知れません。
がらりとドアを開け、1発おみまいして出てきます。しばらく様子をうかがいましたが、今度は大人しくしているので、中へ入って誉めてあげました。そして再び「お仕事行ってくるね」と言って外へ出ます。
「くぅーん!ぶるぶる。がさがさ。」
「ノエル!ノーッ!」
ふい打ちをかけられ、ノエルはあわててうずくまりました。これは油断ならないぞと思ったのか、その後午前中いっぱいは静かにしていました。
たまたま忘れものをとりにきた先生と昼食を食べに出かけました。こうしてノエルの気持ちを一端リラックスさせておいてもう1度くんれんです。よりによってこういう日に限って、入ったお店で盲導犬入店のことで店員と喧嘩になってしまいました。そんな雰囲気を感じながらはたしてノエルがリラックスできたかどうかは疑問。少なくとも私は訓練でノエルを叱りっぱなしでいくぶん気が滅入っているところへ追い打ちをかけられたのですからたまりません。
何はともあれお昼をすませ、私たちは学校へ戻りました。
私が更衣室のドアの外に立ち(幸いその部屋には分厚いカーテンがあるのでノエルから私の姿は見えません)Tさんが私のスリッパをはいて私の足音をまねて立ち去ります。中で妙な音がしました。私はすかさずドアを開けてかけ込みます。
じつにいいタイミングでだれかがクリーニング屋のビニール袋を忘れていたのでした。一瞬のできごととは思えないほど、ビニールはびりびりに裂かれていました。
「ノー!」
Tさんがおいていった来客用スリッパで2・3発ペンペンとたたきます。大きな音がしました。痛みよりも音のほうが効果抜群だったようです。ノエルは「クシュン」といってごめんなさいポーズをしました。
なんだかまた私の気持ちが沈んできました。
(お願い、ノエちゃん。よい子になって!もうあなたをひっぱたくのはいやだわ!)
Tさんは私を職員室に呼び入れて言いました。
「なかなかいいよ。少しでもばたばたしたら叱ってね。」
これを聞くと、感情を圧し殺していた心がパチンとはじけたような感じになって、突然涙がこみ上げてきました。Tさんが驚いて言いました。
「あれ?泣いてるの?困ったなぁ。大丈夫だよ、それくらい優しい気持ちがあれば、ノエルだって分かってくれるよ。ねぇ、泣くなよ。」
そう言われて幾分気を取り直した私は帰り仕度を始めました。
「帰りは車(レンタカー)で送りますよ。僕は飛行機までには時間がありますから。」
「さぁ帰ろう。」
ドアを開けるとノエルはうれしそうにしっぽをふりました。でも普段とは少し様子が違っていました。回りを見回し、空気の臭いを嗅いでいます。
(もしかして、ノエちゃん、もうとっくの昔にTさんが来てること気づいてたんじゃないかしら?)
靴をはいて外へ出ると、いつもならまっすぐ正門へ向かうノエルが、何の躊躇いもなくすーっと右へ曲がり、Tさんの車のドアにぴたりと顔を付けたではありませんか!
「やっぱりなぁ。彼女にはちゃぁんと分かってたんだよ。」
Tさんが笑いながら言いました。
1998年4月15日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡17 現地訓練
「どれどれ、被害状況を見せてもらいましょうか。えぇと、タンスにふすま?ハウスのマット?ここに板をはってるのは、壁を壊さないように前予防?」
「そうです。一生懸命お願いして何軒も不動産屋まわって、やっと捜し当てたアパートですから。壁かじられたら立場ないですよ。」
「はははは、そうだね。もしかしてAMIさん、ノエルとの生活にすこし疲れてる? 本音を言ってみてよ。」
「いいえ、疲れてません。困ってるだけです。」
「ほんとう・?僕に気をつかってるんじゃないの?まぁいいや、じゃぁ外で訓練をしてみよう。」
(あれあれ?口遊びの強制になぜ歩く訓練が?)
不思議に思いましたが指導員のなさることですから信じてついていきました。ノエルはうれしそうに歩いていきます。曲がり角で止まり、障害物をかわし、わき目もふらずに。「文科公園」と呼ばれる場所にきました。広場を囲んで図書館、美術館、芸術劇場があります。ノエルは一つのミスもしませんでした。初めての場所なのにちゃんとベンチも捜し当てました。
「ステイ」
ベンチのそばにノエルをステイさせ、私とTさんはその場を離れます。臭いが流れないように風向きを確かめながら、ノエルからは見えない場所へ行ってじっと様子をうかがいました。20分経過。ノエルはステイを命じられた所から1歩も動かず、静かに伏せています。彼女のそばへ戻って「よく待ってたね」と頭を撫でるといつものようにしっぽが揺れました。
「けっこうできるんじゃないの。思ったより訓練は簡単かも知れない。」
どうやら私がアイメイト協会の事務員にお願いした伝言はTさんに正しく伝わっていなかったようです。確かに私は学校でのステイの際に書類を引きずり出した事件などを例にあげて話したのですが、どうやらノエルが「ステイ」そのものができないのだということになっていたようです。事実、犬が1分たりとも自分を待っていることができないといって相談を持ちかける使用者はとても多いのです。伏せていないで立ち上がる、うろうろ歩き回る、鳴き声を出す、気が散ってばたばたする、などがステイに於ける主なトラブルの形で、今回私がかかえている問題とは少し違っていました。ノエルの場合は(もちろん私が見張ってイラレナイ学校でのステイ中がいちばんトラブル発生確率は高いのですが)ステイのときであろうとなかろうと関係ないのでした。
「明日はもう一人訓練を依頼されている日とが県北の方にいるので、そちらをすませてから明後日もう1度来てみましょう。」
そう言ってTさんは帰っていきました。
翌日は年内最後の出勤日でした。と言っても、生との冬休み中で、職員の中にも休みをとっている人が大勢いましたから、校内はとても静かです。ノエルをいつもの場所にステイさせようとしてふと私は昨日汚れたマットを持って帰ったことを思いだしました。冷たい床ではかわいそうなので、たまたま持っていたタオルを敷いてあげました。
ところがそんな私の心遣いを裏切って、ノエルは、そのタオルをも引き裂いてしまったのです!私はぼろぼろになったタオルの残害をノエルの鼻先に押し当てて「ノー、ノー」と言いながらぴしっと平手打ちをしました。いつもならこの時点で私の心は暗く沈んでいくのです。「また同じことの繰り返しだ」とため息が出ます。でもこのときは心に余裕がありました。
(今日はあまり叱らないでおくわ。明日になればまたT さんが来てくれるんだから。証拠物件ができて助かったってものよ。)
このときの私はやや意地悪な笑いを浮かべていたのかも知れません。ノエルは平手打ちをくらった鼻を「クシュン」と鳴らしました。
なんか私の文章を読んだら
「なんだ!AMIは犬を叱ってばかりいるんだな」と思われる方がいらっしゃるかも知れませんね。
そんなことないんですよ(自己弁護)。
よくできたときは誉めて誉めて誉めまくりますから。
叱る1に対して誉める3ぐらいと教わったんですけど、ノエルは叱られると萎縮することがあるし誉められるとがんばる子なので1対5ぐらいにしてます。
ただ悪癖に対してはビシバシいきます。
絶対に叱らないで誉めるだけでしつけることを最高の躾方だと主張する人もあり、盲導犬協会の中にもその方針をかたくなに守っているところがあるそうです。でもそれには限界があります。
だって、例えば、口で遊ぶのは悪いことだからといって、遊んでいないから誉めるってことは物理的に不可能でしょ?
ってことは実際口遊びをしたときに「それはいけないんだ」と教えるしかないわけで・・・
まさか「いいですか、ワンこのみなさん、お口で遊んではいけませんよ」と話してきかせることもできないしね。
「叱る」っていうのは「教える」ことであって、「怒る」とは質的ににも意味の上でも違うと思うんですね。
そこんとこ勘違いしてる人が多いから「そんなに怒って・・・。犬をいじめちゃだめだよ」なんていわれてしまうんですよねぇ。
なんて、こんなこと、これを読んでくださってるみなさんはよくお分かりと思いますが。
1998年4月 6日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡16
順調に仕事ぶりの上達していったノエルが私を悩ませた唯一にしてとても深刻な「ある一つのこと」とは、鼻や口で遊ぶという悪癖でした。誘導技術でもお行儀のことでも、1度叱られた失敗をまた繰り返すようなことはほとんどありませんでしたが、これだけはどうしてもなおりませんでした(実は今でもこの問題を完全に克服してはいません)。一般にラブラドールという犬種事態が何でも食べてしまうような傾向を持っていると聞きます。子犬の頃のいたずらはすさまじいものがあるとか。でもノエルはもう子犬ではありませんでした。好奇心大盛な面は確かにあるようですが、仮にも正式な訓練を受けたアイメイトなのです。適度な好奇心は良いアイメイトになるには不可欠なものです。でもある程度の自己抑制力は身に付けてほしいものです。
ノエルは人とすれ違うとき(特にズボンをはいた人がお好みのようですが)よく近づいてあからさまに臭いを嗅いだりなめたりしました。買物をしているときなど、もし犬嫌いの方にそういうことをしたらたいへんだと、気が気ではありません。飲食店でテーブルの下に大人しく伏せていると思ったら鼻が床に直角に押しつけられています。何か落ちていないかと盛んに捜しているのです。ノエル自身は完全犯罪をたくらんだつもりかも知れませんが、臭いを嗅ぐ時に背中がひくひく動くので、すぐにばれてしまいます。知人の娘さんの運動会を見に行ったときは小学校のグランドの砂や石ころを食べようとしました。
しかしこんなことはまだかわいいもので、時が経つに連れて、ノエルの鼻・口遊びはどんどんエスカレートしていきました。当時ノエルが昼間ステイしていた男子更衣室は、校内の大切な書類をしまっておく保管庫をも兼ねていました。ステイさせているすぐ横の壁に引戸のついた棚があって、ファイルや紐で綴じられた資料がぎっしりと詰め込んであったのです。ある日、授業の合間に様子を見に行ってみると、そこらじゅうに紙屑が散乱していました。何と、ノエルは鼻先と前足をきように使って引戸を開け、中の書類を引きずり出してびりびりに破いてしまったのでした。もちろん私は上司に平謝りです。ノエルはたっぷりとお仕置をされました。体をぶるぶると震わせ、頭を床にすり付けて「ごめんなさい」をするのでもう大丈夫だろうと思ったのに、似たような失態を彼女は限りなく繰り返したのです。男の先生がうっかり置き忘れた紙類やビニール袋はことごとく引き裂かれました。私は初め、一人でいる時間が長いのでストレスが貯るのかと思ったのですが、どうもそればかりでは説明が着きません。1日中一緒に楽しく過ごした休日の夜にクッションを噛み破いて中から綿を引き出したり、輪ゴムや爪楊枝を食べようとしたり、ふすまの紙を剥したりのいたずらは、孤独やストレスとは何の関係もないのです。もはや一瞬たりとも眼が離せません。いたずらをする度ノエルはこっぴどく叱られ、その度震え上がって「ごめんなさい」をしました。ある時は叱られたショックでおしっこを漏らしてしまうほどでした。叱っている私の心も痛みました。
(どうしたらいいんだろう?人にも迷惑がかかるし、私だって安心して過ごせない。叱ってもノエルの体と心に痛みを与えるだけで、全く実りがない。それに、このままではいつか道ばたで悪いものを拾い食いして致命的なことになるかも知れない!)
そう思い始めたらいてもたってもいられなくて、私は電話に向かいました。
「はい、アイメイト協会です。・・・あぁAMIさん。どうですか、調子は?」
「あのー、それがー・・・。犬の躾で一つうまくいかないことがあるんです。指導員の方がお時間のあるときにお話ししたいんですけど・・・」
2・3日後、Tさんという指導員から待っていた電話がありました。
「来週鹿児島へ出超なので、その後そちらへいきます。実際に様子を見てみましょう。」
1998年4月 5日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡15 私を育てた犬の心
アイメイト協会を卒業する前に、理事長先生が言われました。
「あなたはこれからノエルと生活を始めるわけだけど、最初の3カ月は大変ですよ。今ではりっぱな使用者になってる先輩の中にも『なんでアイメイトなんかもらってきちゃったんだろう?』って悩んだ人はいく人もいるんだから。でもそれを乗り越えれば、すばらしいパートナーになれます。辛い時は、大変だった訓練のことを思いだしてがんばってください。」
私は、これはえらいことになったと思いました。なぜなら私は訓練中、猛暑と緊張で疲れはてた最初の数日をのぞいては、辛いとかきついとか思ったことがなかったからです。「卒業御3カ月が大変」ということを聞くのは、何もこれが初めてではありませんでした。さきにアイメイトを手にした友達もたいていは同じようなことを言っていましたから。そして卒業したその日にYさんの所でノエルが暴走した時、私は「さっそくきたな!」と覚悟をしたのでした。
ところがノエルとの生活は、始めてみると意外に楽しく、順調だったのです。私がノエルと暮らすに当たって心に誓ったのは「たとえノエルが私の言うことをきかないようなことがあっても決してあせるまい」ということでした。そして事実、のえるは初めから100パーセント私の命令を守って完ぺきな仕事をしたわけではありませんでした。これまで書いてきたように、彼女は舞い上がり傾向の強い犬です。お互いの思い込みが激しくて心が通じ合わず失敗したことも何度かありました。でも犬は機械ではありません。躾とか訓練とか、ある程度のラインはあるにせよ、そうマニュアル通りにいくものではないと思うのです。訓練で教えられた通りにやってみてもうまくいかなかったとき、たちまち パニックに陥る盲導犬使用者がいます。使用歴は私よりはるかに長いのに躾にいきづまって助けを求めてきた友達もありました。そんな時私は言います。
「アイメイトは生きてるのよ。あなたがパニックしていては犬が不安になるばかりだと思う。きっと犬も何かを訴えているはずだから、よくきいてあげてね」
と。
私たちはアイメイトの「使用者」ではありますが、ひたすら自分の都合だけを押しつけて犬を引きずり回すわけにはいきません。犬の気持ちを思いやる心の余裕を持たなくては。教えられた通りのことをしたのに思うような成果が獲られない時でもあせらずにいられる私、「ノエちゃんだって気分のいい日も悪い日もあるものね」と考えることのできる私を育ててくれたのは、私が物心着いたころから身近にいた犬たちとのふれあいだったのだと思います。
眼に進行性の病気を持って生まれた私は、小学校入学前まで入退院を繰り返し、ほとんど外に出られませんでした。従って、友達もいませんでした。たまに私の方から声を掛けると、子供たちは私の眼の表情が気持ち悪いと言ってあざけったり、怖がって泣いたり逃げだしたりしました。そんなこと今では何とも思っていませんが、小さな子供だった私の心は傷つきました。でもその傷だらけ心を受けとめてくれる仲間の一人さえいなかったのです、犬たちの他には。彼女たち(記憶する限り犬たちはみんな女の子でした)はありのままの私を受け入れてくれました。言葉はなくても、一緒にいるだけで元気になれるのです。
サリー(1生)は、大きな茶色の犬で、私が背中に乗っても大人しくしていました。ところが、どうしたわけかサリーは、ある日突然凶暴になり、家の別の場所で飼っていた鳥(雉のような大きくてりっぱな種類の)を襲って食べてしまいました。怒った父が何発か力任せにたたくと、彼女は悲しげな声をあげてそのまま走り去って2度と帰ってきませんでした。
やんちゃむすめのシロは、私を引っ張ってしたたか自転車にぶつけましたが、私はそれでもシロが好きでした。シロも私を大好きでいてくれたからです。
「レモンチャン」(「チャン」も名前の一部)という変わった名前の子もいました。白いのに「クロ」と言う妙な名前の持ち主も。
宮崎に珍しく雪の積もった朝、メリーはたった5歳で逝ってしまいました。雪と同じ純白の体を抱きしめて私は泣きじゃくりました。
そしてほんの少しの間しか一緒に過ごせなかったサリー(2生)とベルにいたるまで、私は実に10匹以上の犬とともに生きてきたのです。中には家族が話してくれただけで自分には具体的思い出の残っていない犬もいます。けれども記憶のある無しに関わらず、彼女たち一人一人が、私の心になんらかの影響を与え、今のような気持ちでノエルとつき合える人間にしてくれたのだと思います。
ノエルはゆっくり時間をかけて物事を学びます。でも1度覚えてしまえばいつまでも忘れない子です。逆に物覚えがとてもよい割りには学んだことをすぐに忘れてしまう犬もいるとか。犬にも様々あるものです。ノエルはマイペースで、しかし着実に前進していました。そして問題の「最初の3カ月」が無事に過ぎたのです。しつこいようですが、ノエルはとてもよい子でした。ある一つのことを除いては・・・。
1998年4月 3日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡14 ハーネスで3人が一つに!
街にクリスマスソングが流れます。
「牧人羊を守れるそのよい
たえなる御歌は天より響きぬ。
ノエル、ノエル、ノエル・・・」
街中がノエルの名前を連呼しているようです。ノエルは大通りにあふれる人の波を上手にかわしながらうれしそうに歩いていきます。やがて待ち合わせの場所に決めたバス停に着きました。
今日は福岡から久しぶりにMちゃんがくるのです。Mちゃんは、私が大学生のときに知り合った眼の不自由な友人です。2年ぶりの再会、ノエルにとっては初めての対面でした。彼女も生来はアイメイトを持ちたいと考えているのでノエルに会うのをとても楽しみにしていました。
20分ほど待ったとき、Mちゃんが女の人に連れられてやってきました。どうやら私たちは勘違いをしていたようで、お互い別々の場所で相手を待っていたのです。通りのあっちとこっちでつっ立っている二人を見つけた方が親切に教えてくださったのでした。
さて、いよいよノエルが重大な仕事をするときがきました。今日はいっぺんに二人誘導するのです!
ノエルのハーネスを私が持ち、Mちゃんが私の右腕につかまりました。以前私がまだ白杖使用者だった頃、友達のアイメイトのフィジーちゃんがこんな風にして私をも安全に誘導してくれたのです。ふぃじーちゃんは私のあこがれのアイメイトです。私に盲導犬ユーザーになる決心をさせたのも彼女でした。ノエルと出会ってからずっと「この子もああいうアイメイトになってほしい」と願い続けているのです。
(フィーちゃんにできたのだもの、ノエちゃんにだってできるわ!)
ノエルにしてみれば、とんだ親のみえで迷惑な話かも知れませんが、私は大胆にも職歴3カ月の彼女にその仕事をやらせたのでした。
「ゴー」
ノエルは私を見上げながらゆっくり歩き始めました。
が、ものの5メートルと行かないうちに、「ゴン」と音がして、私はあわててノエルに「ストップ」を命じました。
「いたたぁ」
歩道上に看板が飛び出して、Mちゃんはそれに頭をぶつけたのです。
ノエルの責任は普通自分の右側にいる私を守ることなのですから、これで彼女を責めることはできません。人の頭や体があたるような所に看板を出しているお店の方が明らかに悪いのです。酷な要求と知りながらも私は、その看板をぱんぱんとたたいてノエルの顔をそれに向けさせました。
「イーズィー(ゆっくり)。お願いね。」
このときばかりはノエルも前進にズシーンとハーネスの重みを感じていたことでしょう。慎重に、ゆっくりと、ノエルは進みはじめました。通りには相変わらず人があふれています。しかし、その後家に帰るまで、ノエルは1どもめぐちゃんを痛いめにあわせませんでした。ゆっくり、ゆっくり、人間二人分の前を見ながら歩いていきました。ときどき私の足に鼻がふれます。
「これでいいの?私、うまくやってる?」
と尋ねているのでしょうか?
「グッド!じょうずよ、ノエちゃん。」
鼻がふれるたび、わたしは立ち止まって、彼女の頭を撫でました。
私たちは途中で食事をして、買物をして、無事家にたどりつきました。そして次の日もノエルのおかげで私たちは出かけることができました。今までは、人が遊びにきてもその人が眼の見えるひとでないときは部屋の中でおしゃべりをするばかりでした。確かに久々に会った友達はそれでも楽しいけれど、せっかく宮崎まで来てくれた人に街の様子のほんの一部でも感じてもらえないのは残念なことです。自分の住む街お客様を案内する、そんな当り前のことができないもどかしさを、ノエルは解消してくれたのです。決して普通の人のようにどこへでも、というわけではありませんが、それはこれから私とノエルが切り開いていくべき道の入口を見つけたようなうれしいできごとでした。
家に帰ってハーネスをはずすと、ノエルは、重大任務を終えた解放感と家にお客様が来たうれしさとで大喜びです。こういうときは私がちょっとやそっと叱っても効きはしません(もっともあまり叱ったこともないのですが)。床の上でころげ回り、私に顔をすりつけ、しまいにお客様の膝にまで飛びつこうとするのです。ノエルの大歓迎を受けて、犬好きのMちゃんもにこにこです。
いつもひかえめで物静かな彼女は、騒ぎが一段落すると言いました。
「ノエちゃん、今日はありがとうね。やっぱりアイメイトっていいなぁ。」
1998年3月31日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡11 ノエルと海
真っ青な秋の空。熱帯樹の並木。白く砕ける波。私が最も好きな宮崎の風景です。
「あっ、ここは私が子どものころに撮った写真に写ってる所だぁ!」
大学生のOさんが声をあげました。小さいころ、両親に連れられて毎年のように宮崎を訪れたと言うOさん。私との不思議な出会いによって、今彼女は10数年ぶりに青島の海を見たのでした。
Oさんは、私がノエルとの歩行指導を受けていたときに、卒論の研究のために毎日のように横浜からアイメイト協会へ通ってきていた人です。ビデオカメラを手に行く所どこへでも現われるのですから、訓練性としては少し手ごわい人でもありました。心理学か何かの勉強をしていて、人間と犬とが信頼関係を築き上げていく過程を調べているのだとか。卒業して1カ月たって,私とノエルとの生活にどんな変化があったか、見に来たのでした。例によってビデオカメラをかかえ、観光をかねた取材です。夜も私の所に泊まって、日課のすべてを見てもらいました。
Oさんを覚えているのか、ノエルは私がちょっと大下差すぎるんじゃない?と思うほどしっぽを振って彼女を歓迎しました。
「ノエちゃん、変わりましたねぇ!こんなに表情豊かな子だったんですね。」
再会の瞬間にOさんはいいました。訓練中はほとんど感情を外に出さなかったノエル、人が声をかけても、自分のハウスからじっとうわめづかいに見ているだけだったノエルが、今は尻尾をちぎれそうに振って、前進で喜びを現わしているのです。すべてのアイメイトが訓練終了後こんな風になるのではありません
大人しく、落ちついて、自己主張をせず、外出中以外は主人のじゃまにならないように静かにハウスで寝そべっている。そんなポリシーを貫いている犬もたくさんいます。それが模範的なアイメイトの条件だとしたら、ノエルは落ちこぼれ、私は子育て失格者になるでしょう。わずか1カ月の間に、ノエルは、すっかり私のカラーに染まっていたのでした。でも私は、ノエルの歩行技術と外出先でのマナーにはかなりうるさかったのです。Oさんはいいました。
「すごい!お家とお外の区別ができるんですねぇ!」
Oさんは頭もよく、人の気持ちを的確に受けとめ、相手の必要にとても敏感な人です。横浜へ帰った後彼女が送ってくれた旅行中の写真には、丁寧な説明の他にどれがどの写真か私にも分かるように工夫したシールがはってありました。
が、こんな風に相手の立場にたって物事を考えることのできる彼女にも、私たち視覚障害者の歩行に関しては想像のおよばない部分があったのです。
大人になってから突然失明した人が味わう恐怖と絶望は、経験者でなければとうてい分からない苦しみだろうと思います。景色が、文字が、大好きな人の顔が・・・今まで当り前と思っていた世界がいきなり消えてしまうのですから。そういう方々が盲導犬を持って外出の自由を取り戻したときの喜びは私にさえ計り知れないものがあります。けれども、初めから障害を持って生まれ、景色のぼやけた世界に生きてきた私は、一人歩行をそれほど恐ろしく感じたことがありません。もちろん前にお話した横断歩道でのハプニングみたいなことは何度かあったけれど、外出恐怖症になるほどのものではありませんでした。それでもやっぱり、ノエルがいてくれることは私にすごい力になるのです。
夜、Oさんはテープレコーダーとノートを用意して、私にインタビューをしました
「杖を持って歩いてるときは頭に地図があるだけではだめなのよ。例えば二つ目の過度の1メートル手前に穴ぼこがあるから気を付けなきゃとか、あそこの家のドアはどっちを向いてついてるとか、ほんとに細かく情報を入れておかないと安心できないのね。でもノエルがいたらただコーナーとかドアとか言えば連れてってくれるし、とにかく外出が気楽にできるようになったのが一番うれしいな。道に迷ってもやり直しがきくもの」
「でも犬が道を知ってるわけではないのでしょう?」
「そうだけど、人に尋ねたとき、説明さえしてもらえば、その通り犬に命令すればいいからね」
「犬がいないと説明されてもだめなんですか?」
「説明された通りに歩ける自信がないもの。目標を眼で追えないってことは、すごくやっかいなのよ。例えばまっすぐ行けと言われても自分がまっすぐ歩いてるかどうかも分からないんだから」
「・・・?」
Oさんはとても難しい講義を聞くように考え込んでしまいました。
そして今日(11月9日)、私たちはOさんの思い出の場所、青島へやってきたのです。
「波打ち際で写真撮ろうよ。ノエちゃんを写して。」
寒くなり始め、人のほとんどいない砂浜を私たちは歩きました。少し濡れて柔らかな砂地は歩きにくいのか、ノエルはときどき小走りになりました。小さな足跡が、ぽこぽこと続いていきます。
「ノエちゃん、ウェイト」
波打ち際にノエルを座らせて写真を撮りたかったのですが、初めての海におびえたのか、彼女は「ウェイト」の言葉に従いませんでした。
「ねぇ、ウェイトしてよー。『ノエルと海』ってマスターピースを撮りたいんだから~」
どんなに頼んでもだめでした。私がそばを離れるとノエルは立ち上がってついてくるのです。結局写真はツーショット『ノエルとママと海』になりました
海から戻ってきて、休憩所のベンチに腰をおろすと、疲れたのか、ノエルは頭を私の足にのせて眠ってしまいました。
「昨日の話だけどさ、アイメイトを持って便利とかいうことも確かにあるけど一番うれしいと思うのはこう言うときかも知れない。さっき写真撮らせてくれなかった ときもそうだけど、こうやってノエちゃんがぴったりくっついてくるときの気持ちって、アイメイト使用者の特権かなって思うんだ。」
Oさんも今度は難しい講義を聞いているような顔をせずに、深くうなずいてくれました。
1998年3月20日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡10 冒険
私が一人で白い杖を持って歩いていた頃、本当にアイメイトがほしいと痛感させられる出来事がありました。
梅雨の季節で、その日も朝からどんより曇っていました。
私はある程度明るい日であれば、道路の白線が見えるし、大きなものなら避けて歩くこともできるのです。
けれどもなんだか最近、特に暗い所ではぐんと見えにくくなったなと感じていました。
どんな微少な視力でも、残っていればそれに頼りたくなるものです。
私の家の近くにはとても複雑な交差点があります。
私は足元のゼブラもようを見つめながら歩いて行きました。
ところが、半分ほどわたったとき、その白黒のもようが一瞬ぼやけたのです。初めから杖だけを頼っていたらよかったのですが、足元を見つめていた私はたちまちパニックに陥りました。
何差路にも分かれたでっかい交差点のど真ん中で私はすっかり方向を失ってしいました。あたりにはだれもいません。
やがて信号が赤にかわり、ラッシュ時の道路は車でいっぱいになりました。ぼやぼやしてはいられません。とにかく車の来ない所へ避難しなくては!
夢中でたどりついた先は、私の行きたかった地点とは全く別の場所でした。「まいったな。これだからみんなに『あんたの歩き方は見ててはらはらする』なんて言われちゃうんだ」
独り言を言いながら気をとりなおして再び歩き始めたのですが、さすがの私も元気が出ませんでした。
ノエルが来てからの毎日は夢のようです。
足元がどうなっているかなんて神経をとがらせ、最後の視力をふりしぼるよう地面を見つめながら歩かなくてもよいのです。右手を振って、ノエルに話しかけながら、びゅんびゅん歩いていけるのです。
気軽に外出できるようになると、私の冒険願望が爆発しました。
以前なら、できるだけ簡単で、できるだけ歩かずにすむ道を選んでいたのですが、
「バスが来るまでまだ10分あるから、次のバス停まで歩こうか」
「この道を通っても同じところへ行けるはず。たまにはルートを変えてみようかな」
と、次々にテリトリーを広げていきました。
これには私の冒険心以外にも二つの目的がありました。
一つは、ふだん待ちぼうけばかりしているノエルの経験を少しでも増やしてやりたいと言うこと、もう一つは、いろいろな道を歩くことによって、一人でも多くの人にアイメイトの存在と実態を知ってもらいたいと言う思いでした。
秋も深まりかけたある日、仕事の帰りに郵便局へ行くことにしました。
バスに乗ってもよいほどの距離ですが歩いていきました。
時刻は6時に近く、あたりはどんどん暗くなっていきます。
「よって」
ノエルが車道に近い所を歩いているような気がして、私は左はしによるように言いました。命令を聞くと彼女はすっと左へよりました。
「グッド、グッド」
いつものように誉めながら前進します。
それから200メートルほど歩いたとき、ノエルが急に立ち止まりました。なにかがあるようですが私には分かりません。右足を少し前に出しても何もないようです。
「ゴー・・・」
何かに気を奪われただけかも知れないと思って言ってみましたが、ノエルはさらに2歩ぐらい進んだ所で座ってしまいました。
前方から冷たい風がふいて来ます。
おかしいな・・・
もう1度右足を前に出して、思わず「あっ!」と叫びました。
足元の地面が1歩先からなくなっているではありませんか!
そこは小さな川の岸でした。右手を伸ばすと欄干があります。さっき「よって」と言ったときノエルは命令に従いましたが、実は歩道より少し左にそれ
た、本来は道ではないところを歩いて来たのでした。そして今進めと言った私の命令に断固不服従の態度で、ノエルは私を守ってくれたのです。
「たすかったぁ!ごめんね。ありがとう!」
後になって私は友達にこの話をしました。ノエルがいかに偉いか、誇らしげに語ったのです。すると彼は言いました。
「そりゃぁそうだろう。犬だって川に落ちたくはないだろうし。ねぇノエル。無謀な命令ばっかりする主人をもってたいへんだなぁ!」
「ノエルの足跡(10)で賢い不服従について書きましたが、ちょっと補足します。
ノエルはあのとき私を守ろうとしたのか、それとも友達が言うように、自分が川に落ちたくなかっただけなのか、本犬は教えてくれないので真相は分かりません
ただ、もしこの話しをアイメイト協会の人に話したら確実に私の友達の意見に賛成されるだろうと思います。
サーブの英雄談にしても、サーブの育った訓練所では「偉い犬」と誉めたたえられますが、ある所では「なぜ犬が車に飛びかかったんだ?本来なら主人を引っ張って道の端へよけるべきじゃないか」と批判します。人間だってとっさのときは自分がかわいいじゃないか、どうして犬がそこまでの忠誠心を身に付けることができようか、と言うんです。
私としては「ママを守らなきゃ」とまでは思わなかったにしても、川に飛び込んでしまいかねないラブの性格を考えれば、ノエルが「それはいけないことなんだ。ママを進ませてはいけないんだ」と判断してくれたことに感謝したいと思います。ときどきうっかり私をどこかにぶつけてしまって注意されたときの
ノエルのしぐさ、とてもきゅーんとくるんですよ。道に座って「ごめんなさい!」とでも言うように顔を私にすりつけてきます。「もういいから。次は気をつけようね」と慰めたくなります。
それと、もう一つ、私の発言を読んだあるアイメイト使用者から反論がありましたので、一言のべさせていただきます。
「盲導犬の「仕事」に対する意識について。
私は盲導犬自身は(少なくともノエルは)一般的に考えられているように「がんばって」「緊張して」ストレスと戦いながら歩いているのではないと思っています。せいぜい「お出かけのときはまじめに」ぐらいの感じではないかと思うんですね。初めて人から盲導犬を進められた7・8年前には自分も「私の都合で犬に窮屈な仕事を強いるのは申し訳ないから盲導犬なんていらない、と思っていました。そしてそれが事実なら今でもアイメイトを持たなかっただろうと思います。けれども何人かの使用者と出会ううちに「もしかして犬も主人との外出を楽しんでいるのかな?それならペットの犬より一緒にいる時間も長いし、行ける場所も多いのだから犬は幸せになれるのかも・・・」と考えを改めたのです。
が、私の「まじめなお散歩」発言に対して、その使用者の方は「犬はあなたが考える以上にハーネスの重みを感じているはずだ。歩いているときの緊張はかなりのもので、家にかえってハーネスをはずすと、解放感に満たされて、ころげ回って喜ぶじゃないか」とおっしゃいました。
確かにアイメイト協会での訓練中には、犬を完全に自分に従わせるため、いぬ自身の感情表現をほとんど許しません。けれども「親子関係」がほぼ成立した今私はノエルにそこまで機会的に私に尽くすことを求めてはいません。犬だって短い犬生を幸せに過ごす権利がありますもの。危険と世の中への迷惑さえやらかさない程度にまじめに歩いてくれれば、不必要な緊張やストレスを感じなくてよいと思うんです。盲導犬使用者といってもいろんな価値観の人がおられるわけで、それはそれでいいとおもいます。
ちなみにノエルは帰ってハーネスをはずしたときと同じくらい、出かけると分かったときにもはしゃぎます。ハーネスに自分から頭つっこんで来ますし(笑)。
とにかく「ノエルの足跡」で私が書いていることは、私とノエルの感じ方であって、盲導犬使用者全員の代表意見ではないということをご理解の上、続きも読でいただければと思います。
なんだか、いつになく固くなってしまいました。これからもよろしく!
1998年3月18日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡9 盲導犬のイメージとは
朝7時半。
軽めの服従訓練をすませて、ノエルはハーネスを着けます。
いつもの道を、いつものバスに乗って、私の職場である盲学校へ向かいます。朝の服従訓練が軽めでよいのは、このお出かけに関しては、ノエルはあまりはしゃがず、舞い上がって私を危ないめに会わせることもないからです。
そう、ノエルは学校が好きではないのです。
なぜなら、ほとんど1日中、彼女は誰もいない部屋の片隅でステイしていなければならないからです。
学校にはもう1匹黒ラブの先輩盲導犬がいます。
彼は1日中ケージの中に寝そべって過ごします。
それが彼の育った盲導犬協会のスタイルなのです。
でもノエルは違います。常に使用者に寄り添って、その人と一体なのです。私はよその盲導犬協会のやり方をよいとか悪いとか論じるつもりは全くありません。でも私は私のやり方で行動させてもらおうと思いました。
ところが・・・
学校側の返事はこうでした。
「あなたはいままで自分で校内を歩いていたのだから犬を連れ歩く必要はないでしょう?廊下で待たせておきなさい」
確かに私は校内なら手ぶらでどこへでもいけます。場合によってはノエル無しの方が動き易いことだってあるのです。それでもなお私がノエルと歩きたかったのは、ノエルはいわば私の体の一部だからでした。それに、もし非常事態が起きたらどうでしょう?例えば火事、例えば地震・・・
棟違いの教室で授業をしている私は生徒の面倒も見なければならないのに、そのうえノエルの所へ走って行って、ハーネスとリードを着けて、連れ出さなければなりません。
「廊下では人に触られたりして、犬の仕事にも健康にもよくありません。せめて職員室で待たせてはいけませんか?」私は言いました。
「職員室ねぇ・・・。毛がちりますし、あなたの回りの席の人だって犬がずっとそばにいたらいやかもしれないでしょう?触られて困るのならH 先生のようにおりに入れたらどうですか?」
私の声は震えました。
「それだけはいやです!」
そしてノエルは、職員室の二つ向こうにある男子更衣室にステイすることになりました。そのころ学校は改修工事ををしていて他に適当な部屋がなかったのです。男子更衣室ですから、そうしょっちゅう入るわけにもいきません。
遠慮しながらそっとノックをして、中に人がいないのを確かめて、ドアをあけます。初めの2・3日、ノエルはぶるぶる震えながらドアをじーっとみつめていました。
「ごめんね。ママの力不足で、寂しい思いをさせて・・・」
震える体を抱きしめると、ノエルは私の顔をぺろっとなめました。
「きーんこーんかーんこーん・・・」
午後5時5分、チャイムが鳴門退庁時刻です。「速く迎えにこないかな」とノエルはそわそわし始めます。
「さぁ、帰ろう!」
ドアをあけると、もう立ち上がって尻尾を振り回しています。
「ダウン(伏せ)」
ステイを命じられたからには、その命令が解かれるまでは大人しくしていなければ模範的アイメイトとは言えません。多めに見たい気持ちをおさえて私は言いました。そして1日(昼休みには外へ連れ出すのですが)よく待っててくれたねと、たくさんたくさん誉めて上げるのです。
さぁ、帰りは朝とは違います。心はうきうき、おなかはすきすき、頭の中はお家にかえって食べるおいしいご飯のことでいっぱいなのです。こう言うときは気持ちが最高に舞い上がっていますから、びしっと服従訓練をやらなければなりません。服従訓練はノエルを落ちつかせるだけでなく、私とノエルの信頼関係をより硬いものにする大切な義務なのでした。
帰るのがうれしくてうれしくて、服従訓練の最中でも足の動きがやや飛び跳ねています。そしてハーネスを持った私が「ゴー」と命令すると、ノエルは尻尾を大きく左右に振りながら歩き出すのでした。
背中に二人の同僚の言い合う声が聴こえました。
「私ノエルちゃんに会って盲導犬のイメージ変わっっちゃったよ。」
「そうね、もっと大人しく言うこときいて仕事するものだとおもってた。」
私は心の中で言うのでした。
「ノエルはロボットじゃないのよ!心のある生き物なのよ!1日監禁されて、あなたは耐えられる?お家に帰ったらママと遊ぼうね、ノエル。」
服従訓練について
盲導犬協会でも、1歳半くらいまで(使用者との共同訓練が始まるまで)はケージに入れてます。これは子犬の性格を落ちつかせる為だそうです。家出は部屋の一角をハウスと決め、板やマットなどをおいて、そこが自分の場所と理解させます。初のうちはうろうろするので、ベッドチェーン(長さ1メートルくらいの細い鎖)を使って強制的にそれ以上歩き回らないようにします
ノエルはもうつないでいません(めいれいしておけばおとなしくしてるので)でもお風呂に入るときのようにノエルをみていられない時だけはねんのためチェーンをつけます。ケージに入れるよりは身動きがとれるし、自主的に「おとなしくしていよう」と言う意識も出てくると思います。
ところで、私たちの間では「ハウス」と「ステイ」には違いがあります。「ハウス」は本来の自分の場所にいること(ハウスと決められた範囲でなら体を動かしてよい)。「ステイ」はハウスの外や出かけた先で、ある一定の場所で(伏せて動かずに)じっとして主人を待っていることです。もう一つ「ウェイト
」と言うのがありますが、これは短い間そのままの姿勢で待っていることです。
服従訓練は、「座れ」「待て」「伏せ」「来い」「つけ」「拾え」など、みなさんもよくご存知の基本的動作を素早く確実にこなす為の訓練です。これがきちんとできないと、歩行に危険が生じるので、とても大切です。服従ができて初めて、人の前にたってリードできるようになるのです。
こんなところでお分かりいただけましたか?
よく、服従訓練でノエルがよそ見したりするときに少々きつく叱って落ちつかせるんですけど、それを見てる人に「犬をいじめてる」なんて言われたことがあるんです。私たちはこれから共同作業をするために気持ちを一つにしようとしてるんだってこと、理解してほしいと思いました。
1998年3月16日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡8
「チェアー(椅子へ)」
バスノ中で空席を探すように命令するとノエルはゆっくり歩いて行きます。車内はがらんとしているのに、ずんずん後ろの方へ進んで行くのです。
「チェアッ」
少しきつい調子で言うと、ノエルはあわてたようにすぐ横の席に顔を近づけました。
「グッド・・・」
言いかけてびっくり!そこには人が座っていました。
がら空きのバスノ中で、よりによって人の座ってる所に行くなんて、いくら捜し物が苦手でもふざけてるよ!私は少しいらいらして、他の席を探すように命じました。自分で探してしまってはノエルの教育上よろしくないのです。
なのにノエルは、人のいる席から動こうとしません。
「ノエちゃん!チェアッ!」
この光景を見ていた小学生らしい男の子が言いました。
「盲動犬って以外と言うこときかんとやねぇ!」
ノエルはとにかく捜し物がだめなのです。バス停を探させれば眼鏡屋さんの看板にぺたん!信号の押しボタンを探させれば、さんざん歩き回ったあげくに自動販売機にぺたん!(祖りゃ確かにボタンはあるけれど・・・)
アイメイト協会にいた時もこんなことがありました。
訓練は2週目に入り、私たちは建物の中を自由に歩けるようになっていました
私はお風呂に行こうとしていました。お風呂へ行くには食堂の前を通らなければなりません。ノエルは食堂の前に来ると立ち止まり、ドアノブにぴたっと顔をつけました。主人にドアを教えるしぐさです。いつもうまく行かないのに、こういう時は見事に顔の位置が極まっているのです。命令したことではないので本来は「ノー」なのですが、何しろノエルは捜し物がだめなのですから、事情はどうであれ誉めるようにと指導されていました。
「グッドグッド。でもお風呂行こうね、ストレート(まっすぐ)」
ところがノエルは動きません。丸で顔がドアに張り付いてしまったかのように。
「もっと誉めてよ、こんなにちゃんとできたんだから」とでもいいたげな様子です。
「ノエちゃん上手ねぇ!ぐーっど!グッドだよー!」
誉められてノエルは満足そうに尻尾を振りました。でもまだ私が実は違うことを求めているのに気がつかないのです。(なぁんて思いこみの激しい子なんだろう)
困っていると見かねたSさんが来て助けてくださいました。
さて、南国宮崎もすっかり秋になりました。
ノエルも新しい生活になれて来たようです。そこで私は、ノエルに新しいことを教えて見ようと思いました。
「ノエちゃん、これポストだよ。ポスト・・・ポスト・・・」
ポストを手でたたきながら何度も繰り返します。手紙好きの私にとって、ポストはぜひ覚えてほしいものの一つでした。
「ポスト・・・ポスト・・・」
今度は数歩下がって、リードでひいて行って教えます(ハーネスから手をはなしてリードだけになったときは犬は私を誘導するのではなくて、「つけ」の状態でついて来るのです)。
「ポスト・・・」
次に私はハーネスを持って、数メートル下がった位置から私を誘導するように命じます。ノエルは困ったように私を見上げました。
「ほら、さっき行ったじゃない?あっち、ポスト・・・ゴー」
なんと言ってもノエルは捜し物が苦手なのです。気長にやらなくては。絶対私がいらいらしたりしてはいけないのです。
「ポスト・・・ポスト・・・」
ポストをたたいて教える、数メートル下がる、ハーネスを持って命令する。
3度目に命じた時でした。
ノエルは確信に満ちた足どりで前進、そして・・・静かに、ポストの側面に顔をつけたのです!
「のえちゃん!やったぁ!!グッド、グッドだよ~!!」
あまりのうれしさに私もすっかり興奮してしまいました。めちゃくちゃに頭と言わず背中と言わずノエルを撫でて、ありったけの言葉で誉めちぎりました。
ぶーん、ぶーん。尻尾が揺れます。
ぴょん、ぴょん。そのうち足も踊り始めました。
そ・し・て!!
ぴょ~ーん!(あらっ)
次の瞬間ノエルは、ポスト脇のブロック塀の上に飛び乗っていたのでした。
1998年3月15日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡7 おじいちゃん大好き、でもベッドが怖い
宮崎に帰ったノエルは、たちまちみんなの人気者になりました。
「かわいいねぇ!」
「おりこうねぇ!」
どこへ行ってもたいへん誉められるのです。主人である私の存在はどこへやら
いつもノエル中心で会話が進みます。それでも私は悪い気はしませんでした。
本当に娘を誉められる母親って、こういう気持ちなのだろうと思います。
ノエルが来て一番喜んだのは私の父でした。
一時は命の危険さえ懸念された父。両足切断と言う苦しみに打ち勝って、今や熱心にリハビリに励む毎日でした。
私がノエルと東京から戻ってきた日、父も入院中の病院から帰省していました。それで私も、自分のアパートに帰る前に父に会って行くことにしました。
父も大の犬好きです。一緒に野山を駆け回ったサリーとベルを手放す決断をしたのは父ですが、本当は自分が一番寂しかったのだと思います。
ノエルを見た瞬間、胸に抱いて「いらっしゃい。ノエルのじいちゃんだよ」と言いました。父は子どものころから私にとって、短気で怖い人でした。このときほど優しい父の声を聞いたことがありません。
ノエルも父の犬好きなことが分かるのか、ちぎれそうに尻尾を振って、体をクネクネさせながら甘えます。アイメイト協会の指導員の「叱ってください」
が聴こえて来るようでしたが、私には叱れませんでした。
1週間後、病院へ父に会いに行きました。
建物の中に盲導犬を入れてくれない病院や、入れてはくれても病棟はだめと言う病院も多いのです。ドキドキしながら自動ドアを通りました。誰もとがめませんでした。エレベーターに乗って4回へ。看護婦さんとすれ違います。
「こんにちは!あら、わんちゃんきたんだぁ!」
とがめるどころか、みんなうれしそうです。実は父が会う人枚にノエルの自慢話しをしていたらしいのです。それでノエルは、くる前からすっかり有名になっていたのでした。
長い廊下をぬけて、402号室に着きました。父は4人部屋の一番入口に近いベッドで、体を起こしていました。
「おお、ノエル来たねぇ!」
大好きなおじいちゃんの姿が見えると、ノエルはハーネスを着けていることも忘れて父の方へ跳んで行きました。いくらじいと孫娘の再会の喜びでもお仕事中はいけません。
「ノー!」
私は強くリードを引きました。こうしていけないことはいけないと教えるのです
「きゃいいいーん!!」
いきなりものすごい悲鳴。何が起こったのか分からず一瞬きょとんとしてしまいました。実は、私がチョークしたとき父の膝に飛びついていたノエルの前足がベッドの鉄枠にはさまれてしまったのです。
「どうしましたぁ?!」
看護婦さんが2・3人集まって来ます。
あっちの部屋こっちの部屋から、動ける患者さんは顔を出してこちらを見ています。
「すみません。犬がベッドにかみつかれちゃって!
「まぁ!」
笑いながらも看護婦さんたちは、ノエルの前足に異常はないかと丁寧に調べ始めました。さすがは医療従事者!
ノエルの前足は何ともありませんでした。そして2度と(その人がベッドの上にいる限りは)人に飛びつくこともなくなりました。
その後父が12月に退院するまでの間何度も会いに行きましたが、父が
「ノエル、おいで」
と言うと尻尾をぶんぶん振りながらも、ベッドからはできるだけ離れていようとするのでした。
ベッドが悪いわけじゃないのにね。
1998年3月14日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡6 初めての飛行機
9月27日、いよいよ宮崎に帰る日。朝7時半、協会の方やまだ訓練を受けている人たちが玄関で見送って下さいました。空港までは見習い指導員のYさんが一緒に来てくれます。でもそこからは本当にノエルと二人きりです。
お昼前に離陸した飛行機は、海の上をどんどん飛んで行きます。
足元に伏せたノエルは、始めて乗せられたえたいの知れない乗り物に少しおびえているようでした。ときどき体を小刻みに震わせます。
「大丈夫、一緒にノエちゃんのお家に帰るんだよ」
そう言って震える背中を撫でるのですが、足元の床の下からはごうごうと言う音が聴こえます。よりにもよって、初めての飛行機でノエルは、エンジンの真上にステイさせられてしまったのでした。まだ小犬をやっと卒業したばかり、そのうえ人の何倍も鋭い聴覚を持つノエルには、恐くてたまらなかったのでしょう
富士山をすぎ、紀伊半島をすぎて、飛行機はどんどん飛んで行きます。高知県の室戸岬をすぎるころには少しずつ高度を下げ始めました。
エンジンの音がますます強くなります。ふゅるふゅるふゅる・・・
ノエルの背中も、いっそう激しく震えました。
「皆様、まもなく着陸いたします。」
アナウンスが終わるか終わらないうちに、がたーんと音がして機体が滑走路にのりました
そのとき、ノエルは突然跳ね上がり、通路の方へ逃げだそうとしたのです!
あわてて引き戻しましたが、その心臓のばくばくが、私の手にも伝わって来ました。
「怖かったねぇ!よくがんばったよ。もう大丈夫だからね」
尻尾を足の間に丸め込んで座っているノエルに私は言いました。
そして。ふとサリーやベルが家にやってきたときのことを思い出シました。
サリーは宮城県、ベルは島根県からキャリーに入れられて、飛行機を関西空港で乗り継いで送られて来たのです。生後2カ月足らずの小犬にとって、一人で荷物に埋もれるようにしての空の旅は、どんなにか心細かったことでしょう!
1998年3月12日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡4 ノエル、いよいよデビュー
さて、4週間の訓練もいよいよ終わりに近づいて来ました。
もうすぐノエルとの新しい暮らしが始まる!
大きな期待が膨らんでいきます。と同時に、すっかり居心地のよくなってしまったアイメイト協会を去るのが残念な気もしました。
私は訓練中ずいぶんおもしろいこと(ほとんどがただのへま)をやりました。段階が進むごとにテストがあるのですが、二つ目のコースを終えるときはさんざんでした。
ずぶ濡れになって戻って来た私にSさんは言うのです。
「お疲れさま。あれぇ・・・でもずいぶん速かったね」(テストのときは指導員はついてこないのです)
部屋でノエルの体を拭いているとノックが聴こえました。
「AMIさん、さっきのテストだけど、いぬの訓練で出ていた人がね、あなたがコースの折返し地点より一つ前の信号をわたるのを見たって言ってたよ。」
あぁなんと言うこと!!そして私は、さらに強く降り出した雨の中、追試験を受けることになったのでした。
「ごめん、もう1度行かなきゃならなくなっちゃったよー」
それでもノエルはうれしそうに尻尾ふりふり出かけるのでした。
追試験まで受けた私、ところが性懲りもなくまたまたやってしまったのです!
それも卒業テストで!
銀座4丁目から始めて、1丁目の交差点をわたり、出発点の向い側(三越の前)でゴールと言うコースです。人や車が多く、いよいよ社会にのり出して行くんだなという実感があります。
「ではがんばって!」
声に送られ快調なスタート。
「グッド、グッド・・・」
1丁目の交差点に来ました。さああと半分!
信号をわたり始めたとたん、どうやらまだ赤だったことに気がつきました。急いで歩道に戻ります。そして車の流れを確かめて再び歩き出しました。
ところが、説明に聞いていた道とはどうも様子が違うのです。
通りがかりの人にたずねてあぜん!
「三越は反対ですよ」
どうやらさっきあわてて車道から歩道に戻ったとき、方向をまちがえたようで。
どうにかこうにか、人の手を煩わしながらゴールへ到着すると、待っていた人
ら声がかかります。
「お帰りなさーい!どこへ行って来たのー?」
これを聞くと私はほっとしてと、みんなと一緒に笑いだしてしまいました。
こうしてどじばかりやっていた道草AMIも、9月26日には無事に「盲導犬使用者証」をいただいて卒業となりました。ノエルもアイメイト.720のプレートをつけてデビューです。
とは言うものの、ノエルには何がなんだか分かりません。あわただしく荷造り始めた私をひたすら不思議そうに見ているのでした。
1998年3月12日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡3 犬は飼い主に似る?!
アイメイトを持ちたいと思っている人は全国にとてもたくさんいます。
希望者は協会の方の面接を受けなければなりません。そこでその人の体格や性格歩き方や生活状況などを調べるのです。人にも性格があるように、犬にもそれぞれの個性があります。いくら体の大きさが合っても性格の合わないペアを組んだのではうまくいかないのです。だから、申し込みの早かった人が先に歩行指導を受けられるとは限りません。
私が面接を受けたのは昨年の7月、つまりサリーとベルがいなくなって3カ月目のことでした。「盲導犬を持ちたい」という漠然とした思いはそれより数年前からあったのですが、思い切って行動に移すチャンスを逃し続けていたのです
面接のとき協会の方は
「今の所、あなたと愛唱の合う犬がいないようなので、おそらく何ヵ月か待っていただくことになると思います」
とおっしゃいました。ですから、こんなにも早く、8月の内に訓練が決まったときは、正直言って唖然としました。
さて、ノエルと私の愛唱は・・・?
ご飯のおかげで少し心を開いてくれたノエルは、それから少しずつ甘えん坊になっていきました。
部屋で机に向かって手紙をかいていたりすると、横のノエルのハウス(ベニヤ板を2枚直角に組み合わせたもの)から前足が伸びてきて、私の足をとんとんとたたくのです。
「どうしたの?」
そばへいくと、おなかをみせてごろりと寝ころんで、頭をすり付けて来ます。訓練で仕事がよくできたときに「グッド、グッド」と誉めると尻尾をぶーんぶーんと振ります。
逆に叱られたときはとてもしゅんとしてしまうのでした。
あるときは服従訓練でふざけすぎて、Sさんにこっぴどくぶたれたのです。するとノエルは、完全「ブルーモード」に入って、その日はずっとうずくまって寝ていました。
こういうノエルの性格は、まるで自分を見るようでした。
私も誉められれば調子にのってはりきってしまいます。でも失敗をしたり叱られたりシタときは、ががーんと落ち込んでしまうのです。おまけに、訓練を終わって宮崎に帰った私に、母が言ったのです。
「落ち着きがなくて、ひっくり返ってばたばたして、人にべたべた甘える所がAMIの小さいときにそっくりだよね」(苦笑)
でも私がいちばん驚き、いちばん自分に似ていると思ったのは、ノエルが「夜型わんこ」だったことです。
昼間はくーくー寝ている癖に、最後の「ワンツー(トイレ)」が終わって部屋の電気を消したとたん、ハウスから「ばたばた」「がさがさ」「ぶるぶる」と
騒音が聴こえて来るのです。1日数キロの路上訓練と暑さのため私は疲れきってすぐに眠ってしまいたいのに。
私はベッドから飛び降ります。ノエルに止めなさいと言いにいかなくては!
ところが!私が動く気配を感じるや、ノエルは活動停止、あたりはしーんとなります。ベッドに戻るとまた始まります。
そのうち私も闇夜に響くその音になれて来ました。それに、10日もすると、だんだん涼しくなって来たし、訓練も軌道にのって、それほど体力を消耗しなくなったのです。もともと私自身が究極の夜行性なのです。2時や3時は平気で起きていられます。
「えーい、もういいわ!かってにがさがさやってれば」
開き直った私は、部屋に持ち込んだPHSで都内の友達に電話をかけました。類は友を呼ぶ。夜型は夜型を呼ぶ。友達もまた、私の電話に充分つき合える能力のある夜行性人間でした。
ミッドナイトコールは盛り上がり、私の声は部屋の外まで聴こえてしまうこともあったようです。
こうして私はアイメイト協会で「電話魔」として名高い人物となったのでした。
それから、話の内容に関して、ある方から質問がありましたので、ここに少し解説を加えさせていただきますね。文才もないのにこういうものを書くから~
まず時間的関係ですが
「4カ月前」とは、この話の最初の場面より4カ月前、つまり1997年4月
のことです。
登場する犬ですが
サリー=イングリッシュセター、雌、1996年1月生
ベル=じゃーまん・ショートヘアードポインター、雌、1996年8月15日
生
ノエル=ラブラドール・レトリーバー、雌、1995年10月30日生
サリーとベルは、父が飼っていた犬です。どちらも鳥猟犬で、射撃や山鳥猟を趣味としていたワイルドな父は、彼女達をつれて野山を駆け回っていたのですでもそういう仕事とは別に、彼女達はかわいい(本当にかわいい犬種です、推薦します)私の妹でした。
父は心臓病から合併症を引き起こし、足を失う大きな苦しみを経験しましたがなくなった訳ではありません。今ではリハビリを終えて元気にしています。た
だどんなにがんばっても父が犬を飼うことはできないので、サリーとベルはそれぞれの犬種を愛する方の所へ引き取られました。サリーは9匹の赤ちゃんを産んでお母さんになりました。ベルにはその後1度も会っていません。
私は、両親とは別の場所でノエルと二人で暮らしています。一番最初に出てくる「荒れ果てた家」は両親の家です。私はこの日、夏期休かの為、帰って来たのです。母は父の病院へ行っていて、家は空っぽでした。
以上、話そのものより長い説明になってしまいました。
またご不明なてんがありましたら、遠慮なく聞いてくださいね。
続きも読んでいただければ幸いです。
そしてときどーき応援していただければ・・・(^^)。
1998年3月11日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡2 ノエちゃんのママになるからね!
訓練初めの数日は、これまで経験したことのないことばかり覚えなければならないので、とても疲れてしまいました。
私はわりと小さいときから目が悪かったので、歩くことに恐さを感じたことはありませんでした。
「かわいいパートナーがほしい!犬と暮らしたい!」
不純なことだと叱られるかも知れませんが、それが私がアイメイトを持とうとした 一番の理由でした。
でもハーネスを握って動かさないようにして犬にぴったりついて行くのはとてもテクのいることだと思いました(今は何でもないんですけれど)。しかも訓練の始まったときはまだまだすごく暑かったのです。コースを一回りして部屋に戻ると、私は速攻お昼寝をするのでした。
「それではお疲れさまでした」
指導員のSさんがそう言ってドアを閉めようとすると、ノエルはくるっと振り向いて、彼の後を追おうとしました。
「叱ってください」
すかさずSさんが言います。
「いままでパパだった人が、自分とこのおねぇさんだけを残して去って行く・・・。」
ノエルはSさんが行ってしまった後もじーっとドアを見つめて、耳をすますのでした。
「ノエルちゃん?」
呼びかけてもちっとも反応しません。がっかりして私は眠ってしまいました。
「食事を上げまーす」
大きな声がして(ノエルはピクリと耳を動かしました)Sさんがやって来ました。私はドライフードの入ったボウルに水を注いで、ノエルの前に置きました。
「ウェイト(待て)」
そして、OKの声とともに勢いよく食べ始めます。Sさんはまた二人を残して去って行きました。
ボウルはあっと言う間に空っぽになりました。
「おいしかったねぇ!よかったねぇ!」
声をかけるとノエルが「ぐーっ」といってしっぽを大きく振りました。
やったぁ!
ついにノエルが私の声に答えたのです!
「がんばってノエちゃんのママになるからね!」
私も尻尾があったら振り回したい気分でした。
1998年3月11日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
ノエルの足跡1 出会い
1997年8月15日。
「今日はベルちゃんの誕生日だったな。」
独り言を言いながら、私は誰もいない家のドアを開けました。
4カ月前まで一緒に暮らしていたベル。食いしん坊で、おっとりやのお姉さん犬のサリーはいつも食べ物を奪われてたっけ
今日で1歳になるはずのベル、お母さんになったと噂に聞いたサリー・・・
恐ろしい病気にかかり入院中の父。
犬達の掘り返した花壇に、雑草が生い茂って、両親の家は、人の住んでいる家とも思えませんでした。
突然、電話が鳴り響きました。
「アイメイト協会です。29日から歩行指導に入ろうと思うのですがいかがでしょうか?」
アイメイト!あぁついに、待っていたパートナーに会える!
2週間語。私は東京のアイメイト協会にいました。
「あなたのアイメイトの名前はノエルです。呼んでください。」
「ノエル、カム(おいで)」
少し(ずいぶん?)小柄なクリーム色のラブが・・・静かに・・・私の前に来ました。
「ノエルちゃん・・・」
そう言っただけで、涙がこみ上げて来ました。
寂しくつらかった4カ月、病気に苦しんだ父の姿、車にのせられて行ってしまったサリーとベルのこと。心に閉じこめていた記憶がいっぺんに吹き出したのです。
「???」
優しく背中を撫でながらいきなり泣きだした目の前のおねぇさんを、ノエルは不思議そうに見上げます。
「ノエルはベルちゃんやサリーちゃんに負けないかわいい子になりますよ。がんばりましょうね」
指導員の方も言ってくださいました。
ぱたぱたぱた。ノエルが優しくしっぽを振りました。
1998年3月10日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:ノエルの足跡
Powered by
Movable Type 4.34-ja



